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壬申の乱は、天智天皇(てんじてんのう)の皇太子「大友皇子」(おおとものおうじ)と天智天皇の弟「大海人皇子」(おおあまのおうじ)による皇位継承を発端とした内乱です。約1か月間の内乱に勝利したのは、後に天武天皇(てんむてんのう)となる「大海人」。
乱に勝利した大海人は後に天武天皇となり、日本を律令国家にするためにさまざまな政策を打ち出しました。もし、大友が勝利していたら、日本の国家成立が遅れていた可能性もあり、壬申の乱は古代日本のターニングポイントとなる大事件でした。
乱が勃発した通説となっているのは「大友が大海人に奇襲をしかけ、大海人は止むに止まれず反撃を開始した」というものですが、実際はそうではなかったのではないかとも言われています。その理由は、壬申の乱に関する記録が、大海人側によって作られた「勝者の歴史」だから。
では、実際の壬申の乱とはどのようなものだったのでしょうか?
通説なっている「大友=悪者、大海人=善人」という構図は事実なのか?
大友と大海人の関係性や乱の戦況などを振り返りながら、壬申の乱の真実に迫ってみたいと思います。
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