高取町は明日香村に隣接し、日本三大山城の一つである高取城(現在は城跡)と城下町があり、町内には多くの文化財が今も眠っています。明日香村から田園風景の中を歩きながら高取町佐田へ入ると背面を大きくカットした終末期古墳の束明神(つかみょうじん)古墳と、その南には草壁皇子の墓とされる岡宮(おかみや)天皇陵があります。紀伊国(和歌山県)まで続く、古代幹道である紀路(きじ)を歩いて行くと、巨大な前方後円墳である国指定史跡の市尾墓山古墳があります。その西側、丘陵上の国指定史跡の市尾宮塚古墳を通って、そのまま紀路を歩いて行くと御所市に至ります。
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明日香村境〜御所市境まで約4.9km 高低差ほぼ平坦
草壁皇子の墓として管理される岡宮天皇陵の北、佐田集落の春日神社境内に残っています。発掘調査の結果、凝灰岩の切石を積み上げた特殊な横口式石槨を持つ、大規模な終末期古墳であることが判明しました。また、出土品と歯牙の理化学的分析、文献や伝承などからも総合的に判断して、束明神古墳こそが草壁皇子の墓であった可能性が高いと思われています。
【住所】高市郡高取町佐田 【TEL】-
天武天皇の若き皇子として将来を嘱望されながら28歳という若さで亡くなった草壁皇子(くさかべのみこ)の墓とされています。皇子の死後に詠まれた柿本人麻呂の挽歌は万葉集に収められており、母である持統天皇の息子への情愛をうかがえるものとなっています。
【住所】高市郡高取町佐田 【TEL】―
下ツ道の南への延長で、飛鳥から紀伊国へと続く古代官道。この道を通り、持統天皇は白浜の牟婁(むろ)の湯を訪れました。更に、飛鳥に都ができたのは、この紀路を通ってやってきた渡来系の人々が高取町域に多く移り住んだことや、紀路を通じて遙か中国や朝鮮半島と結びついていたことが関係していると考えられます。また、沿道上には古墳や寺院・瓦窯跡が見つかっています。
【住所】橿原市/高市郡明日香村/高市郡高取町 【TEL】―
墳丘長70m、高さは10m、周溝と外堤を合わせた全長は100mの規模になり、古墳時代後期を代表する前方後円墳。奈良県橿原考古学研究所が行った昭和53(1978)年の発掘調査では、後円部に横穴式石室が見つかり、凝灰岩製の巨大な家形石棺も確認された。昭和56(1981)年に国指定史跡となるも、現在は公園として整備され、墳丘に登ることも可能。
【住所】高市郡高取町市尾 【TEL】-
市尾墓山古墳と同じく、横穴式石室を備えた前方後円墳として国の史跡に指定される。菅原道真公を祀る天満神社の境内にあり、石室を閉ざす扉に近づくと自動的に照明が点き、石棺の眠る玄室が見学できる。馬具や大刀の装飾品といった多数の副葬品が発掘されています。
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