各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第17回 大阪府立大学 教授 村田 右富実氏

上代文学の魅力は、「それより前」がないこと。
「その前」が見えない状態で、ここだけバーッと広がる。
それが上代の面白さだと思います。

村田 右富実氏

まさか自分が『万葉集』をやるとは思っていなかった

先生が専門分野にご興味を持たれたきっかけは何ですか?
村田 恥ずかしいのですが、すごく不純な動機です。小さいころから学校の先生に歯向かうのが好きで、先生が言うことに対して、違う考え方もないかということをよく言っていました。
大学に入ったら、恩師が「僕の言うことはあくまでも僕の学説だから、論破してくれて全く構わない。僕の言うことは信じるな」とおっしゃった。それで「このやろう」と思って理詰めで何とかして勝ちたいとたたかうのですが、勝てない。その先生がたまたま『万葉集』の先生で、なんとかして勝ちたかった。それで万葉集の研究を始めました。その先生が、例えば『源氏物語』が専門だったらそちらに行っていたかもしれません。もちろん、もともと文学に興味があって文学部に入ったのですが、まさか『万葉集』をやるとは思っていませんでした。
理詰めでものを考えることが好きで、自分の感覚をなんとか外側に客観的に出したい、「なんで僕は人麻呂の歌をよんで鳥肌が立ってしまうんだろう」というのが知りたいと思い、いつも考えています。

人間と自然に区別がない、それが人麻呂の歌の魅力

『人麻呂』の魅力はどういうところですか?
村田 格好いい言い方をすると、人は、人間と自然は相対するものだと思っていて、自然に手を加えて自分が過ごしやすくしたりする。ところが人麻呂の歌をよんでいると、人間と自然に区別がない。それは、人間と自然が共にあるという感覚でもない。例えば、自分と自分の胃袋が共にある、という感覚は我々にはなくて、そういう感覚を抱くときは胃が痛いとか、別の物と思うときに初めて共にあるという感覚が生まれるんですね。人麻呂の歌は、そういう共にあるという感覚すらない。だから、人間と自然は相対する別物だという目でよんだ時に、その区別のない状態がとても新鮮に映って、そこに自分の気持ちが投影できないだろうかと思ってしまう。それが人麻呂の歌の魅力です。それは、大伴家持の時代の歌にはもうない。そういうものが残ったのが、人麻呂の時代のほんの一瞬だけでした。
文字がないと残らないし、文字を持つということは自然を敵対視し始めるから、自分とは別物で自分の意識を残すことになる。どんどん文字が獲得されるにしたがって、自分と他者は区別せざるを得なくなる。人麻呂はちょうどその端境期、ほんの一瞬の攻防だと思っています。

上代における激動の50年

上代文学の面白さはどこにあると思われますか?
村田 上代文学の魅力と言えば、『古事記』も『日本書紀』も『万葉集』もそうですが、「それより前」がないんです。
文字化されていないのです。日本人が文字でいろいろなことを書けるようになってきた時には、新しい小説など書かずに、今まであったものを書くんですね。だから、「それより前」が分かる。そこには、文字のない時代のことが文字を通して記されていて、もちろん文字で記されているので嘘もたくさんあるんですが、やはりなにかギロッとしたものが見えきます。
そのときは、ちょうど「日本」という国家ができる時。ただし、国家が出来上がった時期は、3世紀説(卑弥呼)、5世紀説(雄略天皇)、7世紀説(大宝律令)と意見が割れるんです。僕が考えているのは、7世紀だと思っているのですが、それは日本が、自分以外の国のことに気付いた時で、他者を知って内側が分かってくるという時代です。
『古事記』は内側向けなので、「日本」という名前がつかないですが、『日本書紀』は中国に見せるためのものなので、「日本」と付いています。そこが『古事記』と『日本書紀』の明確な違いです。そういう他国に対する国家、ネイションの成立がこのときなんです。
それまでの大化前代は、豪族たちが好き勝手していましたが、それがたった5、60年の間に法治国家になるので、激動の50年ですよね。
それまで、文章のやり取りはそれほど発達していなかったものが、天武天皇が浄御原令を作って配り、その後20年もしないうちに大宝律令が配られ、「これから大宝元年だ」と言うと地方にもそれが浸透していた。
戸籍も作られた。戸籍を作るということは、人頭支配ができる。風土記によって空間も支配できる。『日本書紀』によって時間の支配もできる。そして、法律によって実際の支配もできる、というのがこの時。「その前」が見えない状態で、ここだけバーッと広がる。それが上代の面白さだと思います。
そして壬申の乱という大戦争のあと天武天皇が即位し、はじめて天皇と呼ばれるようになり、そこから急速に当時の近代国家が形成されていく。この「どうなっているの!?」という時代に、みんなが歌を書き始める。日本語が漢字で書かれるのもこの時です。国家の宗教が整えられるのもこの時。信じられない50年ですよね。30年かもしれない。そこが面白いと思います。
むらた・みぎふみ
プロフィール
1962年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。同大学博士後期課程単位取得退学。大阪女子大学勤務を経て現職。博士(文学)。
上代文学、とりわけ『万葉集』を中心として、和歌の成立などを研究テーマとする。著書に『柿本人麻呂と和歌史』(和泉書院 上代文学会賞受賞)、共著に『南大阪の万葉学』(大阪公立大学共同出版会)、『日本全国 万葉の旅「大和編」』(小学館)など、監修に『よみたい万葉集』(西日本出版社)などがある。