各界の識者が語る「わたしの記紀・万葉」

第8回 橿原市長 森下 豊氏

広い視野と自由な発想で、さまざまな「つながり」を創り、活かしていきたい。

橿原市長 森下 豊氏

記紀・万葉ゆかりの地の宝庫

橿原市には、藤原宮跡をはじめ、江戸時代の今井町まで、たくさんの歴史的な素材があります。
その中でも、記紀・万葉の時代のもので特にここがお勧めというところを教えてください。
森下 もう、いっぱいあり過ぎて言われへん(笑)。
耳成(みみなし)山、畝傍(うねび)山、香具(かぐ)山の大和三山もそうですし。
橿原神宮もありますし…。橿原神宮は毎年4月3日に神武祭をやっています。
この日は、神武天皇(神倭伊波礼毘古命・かむやまといわれびこのみこと)が崩御された日とされています。
神宮で神事が行われるのに合わせ、パレードやライトアップなどのイベントを行います。
昨年は3月11日に東日本大震災が起こりましたので、戦後初めてのことですが、中止になりました。
そんなこともあって、今年2012年は、4月3日をはさみ、前日の2日からその次の土日を含む8日(日)までを一つのイベント週間として、企画しました。
もちろん「記紀・万葉プロジェクト」も冠につけています。
橿原神宮にも全面的にご協力を頂き、特別にこの期間中夜6時から9時まで、内拝殿、外拝殿の釣り燈籠、参道に新しくつくった石燈籠のすべてに灯を点してもらいます。
非常に幻想的で、美しいですよ。
神武祭では、美しさや楽しさを味わっていただきたいのはもちろんですが、心の落ち着きとか、日本の国の始まりとか…そういうことも感じていただけるような場にしたいです。
神武さん(神武天皇=神倭伊波礼毘古命・かむやまといわれびこのみこと)が東征で来られ、橿原市の畝傍山の東南で即位されたというところから、『古事記』の人代(中つ巻)は始まってるわけですから、古事記編さん1300年を楽しみたい方は、ぜひ、橿原市に来ていただくことからスタートしてほしいです。
これから9年間にわたる「なら記紀・万葉プロジェクト」でも、ずっと主役になられる市町村のうちの筆頭かなと思います。
森下 この9年間で何ができるんかということを、橿原市としても、新しい取り組みも含め、しっかり考えていきたいですね。
その一つが、つながりづくりです。
橿原市は宮崎市と姉妹都市提携して、今年で46年目になります。
宮崎県宮崎市にも神武天皇(神倭伊波礼毘古命・かむやまといわれびこのみこと)ゆかりの宮崎神宮があります。
(橿原での)春の神武祭には宮崎から市民訪問団を含め多くの方が来られますし、(宮崎での)秋の神武祭には必ずこちらから参ります。
そういう交流がもう40年来続いています。
議会、商工会などの行き来もあり、まさに兄弟のような町なんです。
また、島根県出雲市とは、姉妹都市ではないんですが、この機会につながりを深めていきたいですね。
神話ゆかりの地ですし、平成25年には出雲大社で60年に一度の式年遷宮があり、注目されています。
このプロジェクトを機に、橿原市、宮崎市、出雲市の3市の魅力をうまくつなぎ、いわば神話のトライアングルで何かできないかなと構想しているところです。
トライアングルパワーで、神話の魅力が日本全体に広がっていきますね。

地元の人に、もっと魅力を感じてもらいたい

森下 その一方で、地元の皆さんが、この土地の魅力をあまり感じてない、よく知らないとうことは気になっています。たくさんの方々が来られたときに、
「どこに行ったらいいの」とかいろんな相談を受ける機会があると思うんですよ。

旅をしたとき、地元の方との出会いがその土地の印象を左右しますものね。
森下 だから、深い歴史は語れなくてもいいけど、各スポットの魅力については、やっぱりみんなに知っておいてもらいたいと思うんです。
もしかしたらもうすぐ世界遺産になるかもしれない、そういうレベルにある土地なんですよということを、しっかり感じてもらいですね。
ただ、藤原宮跡も一見何も残ってないんですよね。
平城宮跡とは違って、大極殿も朱雀門も残っていませんし。
ただ、見渡せば大和三山は今もあるし、一見なにもないように見える野原でも、約1メートル下には1300年前のものが眠っています。
そういう目に見えない魅力を、観光客の方はもちろん、地元の皆さんにもしっかり感じてもらえるような工夫を、積極的にしていかないといけないと思っています。
手始めに、『なるほど!「藤原京」100のなぞ』(橿原市編さん・柳原出版)という本を、奈良県立橿原考古学研究所の協力で作りました。
中学生にも読んでもらえるよう、わかりやすい内容になっています。
子どもさんがわかりやすいということは大人も分かりやすい。
森下 そうですね。
それから、藤原京というものが、独立してるという考えは我々にはないんです。
飛鳥地方の中の、飛鳥の宮と藤原京とは一体なんだと考えています。
古代、飛鳥からこっちへ遷都してきたというよりは、同じ一体の都のなかで中心だけは移動したというか。
遷都といっても、都がまるごと移った平城遷都のときとは、違うでしょうね。
ですから、現代の我々も、橿原市、明日香村も、飛鳥地方という一体化した中で、記紀・万葉の魅力発信をしていきたいなあと思っているんです。
ここのところ、とくに観光施策に関しては、市町村の枠にとらわれず、高取町や明日香村とも協力しながら取り組んでいますので、境目というか敷居は非常に低くなってきましたね。
いいことだと思います。
なんだか記紀・万葉の時代に戻っていくみたいですね。

いろいろなつながりを発見したい

森下 そういう意味では、非常によいタイミングで、今回の「なら記紀・万葉プロジェクト」がスタートするなと感じています。
昔は、同じ都やったやんか、いっしょに楽しいことしていこう!という広い考え方でね。
西のほうに目をやれば、記紀の世界では、葛城、竹内峠あたりからずっといっしょのくくりになるし。
もちろん、近隣市町村だけでなく、聖徳太子でつながってるやん、とか、先ほどの神話でつながってるやん…とか、いろいろなつながりを発見し、活かしていきたいですね。
「つながり」の視点ですね。
森下 「つながり」もそうですが、とにかく視点を変えてみるということは非常に大事ですよ。
平成23年12月、橿原市の道路拡張工事の際に、人工池の堤跡が発見され、大津皇子ゆかりの「磐余(いわれ)の池」か?とニュースになりました。
実は、歴史学者の和田萃(わだあつむ)先生が、40年ほど前から「ここに磐余の池がある」と予言めいた学説を出しておられた場所だったんです。
今後調査も進みますが、この場所を、航空写真で見てみると、山に沿って、池のような形が非常にくっきりとしたラインを描いているのがわかりますし、この外側のラインが、お隣の桜井市との境界線になっているんです。
夕方の逆光で、この池跡のあたりをみると、まるで水を湛えているように光ってみえますよ。
この池跡の西側には御厨子(みずし)神社もあって…。
視点を変えて、地上のものを空から見てみる。
そうすると、古代のことが地形的にわかってくるとは感動的ですね。
「視点を変える」「つながりを創る・活かす」…たくさんの歴史を味わうヒントをいただきました。どうもありがとうございました。
もりした・ゆたか
プロフィール
1958年 吉野郡大淀町生まれ、医師
2007年より、現職