記紀・万葉講座

「 『古事記』の成立と物語」

記紀・万葉リレートーク 第2回 宇陀市

2012年11月11日(日) 13:30~
会場・宇陀市文化会館 かぎろひホール

講師・帝塚山学院大学 及川 智早(おいかわ・ちはや)氏
演題・「『古事記』の成立と物語」

チラシにリンク


 

概況

平成24年11月11日に、宇陀市文化会館かぎろひホールにて、第2回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
13時30分から開演し、宇陀市教育長の挨拶の後、「『古事記』の成立と物語」と題して、帝塚山学院大学教授 及川智早氏にお話しいただきました。
及川先生の配布資料を熱心に見ながら、聴講する方々が多く見受けられました。


 受付・宇陀市記紀・万葉マスコットキャラクター
八っぴー

 

講演の概要

「 『古事記』の原文はすべて漢字で書かれている。当時、日本には独自の文字がなかったため、外国(中国)の文字である漢字を使って日本語を書こうとしたのである。『古事記』の上巻は神話(神々の物語)、中巻~下巻は人の世の話が書かれている。中巻から天皇の治める世の中の物語がはじまり、初代神武天皇から33代の推古天皇までの系譜と物語が記されている。『古事記』に、神話がわざわざ最初に語られているのは、初代天皇が、太陽女神である天照大御神の直系の子孫であるということを強調するためと考えられる。

宇陀に関連する記述では、中巻の神武天皇の条に、宇陀の高城にシギを獲る罠をしかけたが、シギはかからず、クヂラがかかった。古女房がおかずをほしがったら、肉の少ないところを、若い女房がほしがったら、肉の多いところをたくさんやれ(古代は一夫多妻制であった)、という歌謡が載る。
これは、戦いの後の宴会で歌われた歌であるが、歌詞中のクヂラは猛禽類の鳥の鷹である(百済(朝鮮半島に古代にあった国)では鷹をクチといったということから)とする説と、海にいる鯨であるとする説がある。

鳥を捕まえる罠に、鳥の鷹がかかるというと合理的で筋がとおるようにもみえる。しかし、この歌謡の後半の、新旧二人の妻に対する扱いが、明らかに笑いを誘うように作られているのであれば、前半の歌詞のクヂラも、海のない倭(奈良)の鳥の罠に、どうしたわけか、海にいる、それも巨大な鯨がかかった、という意外性、ばかばかしさで笑いを誘おうとしたのだ、とするほうが、歌の解釈として当たっていると思う。
江戸期の松阪出身の国学者である本居宣長が、その著書『古事記伝』に、その宴会にはごちそうとしてシギとクジラが出されたのでこの歌詞があるのだろうとしたのは首肯できる。

『古事記』序文に、太朝臣安萬侶(墓誌がみつかった)が和銅五年に撰録したと記述されているが、『続日本紀』には記述がないので(『日本書紀』については養老四年にちゃんと記載がある)、『古事記』は平安期に作られた偽書ではないかという説がある。しかし、『古事記』の後にできた『万葉集』に、『古事記』を引用している部分があること、平安時代には消滅してしまった上代特殊仮名遣での書き分けが、『古事記』ではきちんとできていることなどから、奈良時代の初めにできたことは動かないだろう。
『古事記』は序文に、天武天皇が古記録を稗田阿礼に誦み習わせたとされ、以前はこれを阿礼に暗誦させた(古代の語り部のように)としていたが、現在では、かなり以前から日本人は文字としての漢字を自由に扱っていたことが判明したので、漢字で書かれた古記録を見ながら、節をつけて朗読したと考えたほうがよいと考えている。
天武天皇は686年に亡くなり、その後25年経って、元明天皇(天武天皇の姪であり、息子草壁皇子の妃)が、太安万侶とまだ生存していた稗田阿礼に『古事記』を提出させたわけだが、命令から撰録まではたった4ヶ月ほどであった。
それを考えると、『古事記』は天武天皇の崩御以前にほぼ完成の域に達しており、天武天皇の意思が確実に反映されていると考えられる」。


 講演の様子


【講師プロフィール】
及川 智早(おいかわ・ちはや)/帝塚山学院大学教授
日本神話、日本古典文学等を専門とし、古事記学会理事、上代文学会理事、大正イマジュリィ学会常任委員等を務める。
2012年6月に奈良県国立博物館で開催された、古事記展覧会「古事記の歩んできた道」にも図録執筆等で協力。また、古事記の神話や物語を紹介し、全国の古事記に関連する地を掲載した「古事記ゆかり地マップ」の監修も行っている。