記紀・万葉講座

「『古事記』編纂の始まりー天武天皇と吉野とー」

記紀・万葉リレートーク 第1回 吉野町

2012年10月13日(土) 14:00~15:30
会場・奈良県吉野郡吉野町窪垣内河原

講師・奈良大学教授 上野 誠(うえの・まこと)氏
演題・「『古事記』編纂の始まり ー天武天皇と吉野とー」

チラシにリンク


 

概況

平成24年10月13日に、吉野町国栖の窪垣内河原にて、第1回目の「記紀・万葉リレートーク」を開催しました。
14時から開演し、奈良県観光局長の挨拶の後、「『古事記』編纂の始まりー天武天皇と吉野とー」と題して、奈良大学文学部教授 上野誠氏にお話しいただきました。
上野先生のお話しと、窪垣内河原の背景が調和し、しみじみとしたあたたかみのある講演会となりました。


 吉野町国栖/窪垣内河原会場の様子

 

講演の概要

「大海人皇子(後の天武天皇)は、病床の天智天皇から後事を託したいと言われたが、剃髪し吉野に下った。その天武天皇を迎え入れたのが、今日の会場である河原である。その後、天武天皇は壬申の乱に勝利し、新しい国づくりを目指したが、私たちのアイデンティティは日本の国の物語にあり、これを語り伝えていかなければいけないと考え、新しい歴史書の編纂を決めた。これが『古事記』である。『古事記』を長年語ってきたのは稗田阿礼という舎人であったが、稗田阿礼の高齢化問題から、稗田阿礼がいなくても『古事記』を読めるよう、『古事記』を編さんする必要に迫られた。そこで命を受けた太安万侶は、すべて漢文で書けば意味は取りやすいのだが、心に伝わらないため、漢字の音読みと訓読み、区切りなどに悩みつつも、筆録して『古事記』を仕立て直した。つまり自分たちの国の歴史を大和言葉で語りたいとしてつくられたのが『古事記』だと言える。平城京は当時の東アジア最先端の影響を受けていたが、こうしたグローバルな価値が上がれば上がるほど、ローカルなものに心惹かれるのは昔も今も同じである。ちなみに『古事記』を撰上(天皇に奉ること)したのが712年であり、今から1300年前であるが、『古事記』はもっと前にできていたことになる。
この吉野を天武天皇が脱出に成功して訪れ、後の壬申の乱に勝利しなかったら、日本の古代天皇制も成立せず、『古事記』もできなかった。そういう意味でも今日、ここで第1回目の記紀・万葉リレートークを開催できたことは、非常に意義深い」。

 講演の様子


【講師プロフィール】
上野 誠(うえの・まこと)/奈良大学教授
万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。MBSラジオ「上野誠の万葉歌ごよみ」などにより、『万葉集』を学ぶことの楽しさを、多くの人びとに伝えている。
研究のテーマは、万葉挽歌の史的研究と、万葉文化論。
モットーは「体感する万葉」