記紀・万葉講座

 乙巳の変 封印されたその真実

日本書紀を語る講演会 第7回

2017年2月4日(土)13時00分~14時40分
会場・奈良県立万葉文化館 企画展示室
講師・映画評論家 漫画原作(天智と天武) 園村昌弘(そのむらまさひろ)氏
演題・乙巳の変 封印されたその真実


 

講演の内容

「漫画、「天智と天武」の原作を担当することになった際、作画の中村先生に注文したことは、「蘇我入鹿をイケメンに描いてください。」という1点だけだった。中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(鎌子)が蘇我入鹿を誅殺した乙巳の変は「天智と天武」の冒頭に描かれている。この当時の朝鮮半島は高句麗・新羅・百済の三韓時代であり、各国は覇権を競い、いざという時の為、貢物や王子クラスの人質を倭に送っていた。日本書紀では、その舞台となった、その貢ぎ物を奉る儀式の場での緊迫したシーンに詳らかに記されている。これから、乙巳の変の中心人物である、中大兄皇子・蘇我入鹿・中臣鎌足の3人を中心に話を進めたい。


父である第34代舒明天皇の殯の際、異母兄である古人大兄皇子を差し置いて弔辞を読んだのが、16歳の中大兄皇子であった。そこに潜む野心に目を付けた中臣鎌足は、法興寺で蹴鞠を通じて中大兄皇子と出会い、それまで蜜月の関係であった、後の第36代孝徳天皇(軽皇子)から、中大兄皇子へと関係を切り替えていく。そして、二人は蘇我入鹿誅殺の計画を進めていった。蘇我入鹿は日本書紀では、ほとんど中傷しか書かれていない。その名前にしても、入鹿をはじめ、父の蝦夷、祖父の馬子とまるで蔑称のような名前である。日本書紀は蘇我を決して褒め称えることはない。極悪人とされる蘇我入鹿を誅殺するため、中臣鎌足はじつに用意周到に根回しを行っている。入鹿の同族である石川麻呂の娘を中大兄皇子と結婚させたのである。つまり身内を寝返らせたのである。この石川麻呂は乙巳の変の際には貢ぎ物を読み上げる役割を担っていたが、入鹿誅殺の計画を知らされたのは事件の四日前であった。また、鎌足は襲撃の際にも入鹿に対して、直接、攻撃はしておらず、実行犯を逃れるかのように書かれている。


百済からの人質の中に豊璋という王子がいる。日本書紀にある、豊璋に関する記事で注目したいのは、蘇我入鹿によって聖徳太子の皇子である山背大兄王が殺害された事件の直後の、わずか50字程の記述。この豊璋が養蜂に失敗したという記事は不自然な程、唐突に描かれており、その後に中臣鎌足の説話が続く。豊璋が次に登場するのは660年百済が滅亡した記事のあとである。中大兄皇子は豊璋に織冠の位と大軍を与え、百済へ送り返すのだが、中大兄皇子と豊璋との関係性が今まで記されていないにも関わらず、いきなりの高待遇である。しかも、中臣鎌足もまた、大織冠の位を与えられているのである。私は、豊璋と中臣鎌足が同一人物であり、百済寄りの政治を行うため、中臣鎌足は暗躍していたのではないだろうかと考える。

第35代皇極天皇が重祚した第37代斉明天皇の項に、高向王との間に漢皇子を産んだという記事がある。しかし、高向王も漢皇子も出自は詳らかになっていない。後の第40代天武天皇となる大海人皇子も生年が記載されておらず、一部の学者が説いているように、漢皇子は大海人皇子であり、皇極天皇は舒明天皇に嫁ぐ前に高向王と結婚し、漢皇子を産んだのだろうと思う。日本書紀では、斉明天皇の殯の際に鬼が出たと記されており、扶桑略記によると、その鬼は蘇我入鹿であったと記されている。私は皇極(斉明)天皇の政治を助け、寵愛をうけた蘇我入鹿こそ、高向王であると思う。

乙巳の変の直後に即位した第36代孝徳天皇は難波宮で親新羅の路線をとったため、親百済路線の中大兄皇子と不和が生じたのだろう。そして、それが原因で、周りの臣下たちは飛鳥に戻り、孝徳天皇は難波宮でひとり崩御された。ちなみに諡号に「徳」の文字を与えられた天皇は不遇な死に方をしているケースが多い。天皇ではないが聖徳太子もその一人だ。法隆寺の夢殿に祀られている救世観音像は明治17年の宝物調査の際、光背が頭に釘で打ち付けられていることが確認されている。夢殿創建を支援したとされる第45代聖武天皇の后、光明皇后は、家族を次々に亡くし、祟りではないかと恐れ、おそらく怨霊封じのために創建させたのであろう。その祟りとは、聖徳太子という諡号を贈られるほどの偉人、蘇我入鹿のものであったのかも知れない。

明日香村


明日香村2

【講師プロフィール】
1937年熊本市生まれ。熊本市在住。熊本大学教育学部卒業。中学校国語科教員として勤務。NHK熊本放送局等のテレビ番組に映画解説者として出演。
小学館のコミック誌で映画監督シリーズ「小津安二郎の謎」「クロサワ―炎の映画監督・黒澤明伝」の原作を担当。後者は2001年文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。2016年、5年越しの大作コミック「天智と天武」全11集(いずれも作画は中村真理子・小学館)を完成。「真実は自由な発想とサプライズによって明かされる」を信条とする。