記紀・万葉講座

大化改新の評価と木簡

日本書紀を語る講演会 第7回 大淀町

2016年2月14日(日)13時00分~14時30分
会場・大淀町文化会館 ひだまりホール
講師・大阪大学大学院 准教授 市 大樹(いちひろき)氏
演題・大化改新の評価と木簡

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講演の内容

「乙巳の変」(645)に始まる孝徳朝(645-654)の一連の政治改革を「大化改新」と呼ぶ。「大化改新」は明治時代ごろより、明治維新との関連性から注目が集まるようになった。その核心部は「改新之詔」という新たな政治の大綱を示した条文である。その内容は、従来の縦割り的な部民体制を改め、「国―郡―里」という新たな地方行政区分に従い、戸を単位に公民を戸籍・計帳に登録し、班田収授を実施し、新たな税を課すことを宣言するものだった。


歴史学者の間では、「乙巳の変」についてはその存在が認められているが、「大化改新」の信憑性については意見が分かれている。地域区分を表す文字として「郡」を用いているか「評」を用いているかという議論が大きな問題となり、「郡評論争」と呼ばれた。これは、井上光貞氏が1951年に提起した問題で、『日本書紀』では「郡」の字を使っているが他の文献では「評」の字を使っており、「大化改新」は当時の文献ではなく701年の「大宝令」を基にして作ったのではないか、というものである。長らく解決を見なかった郡評論争は、16年後の1967年に藤原宮よりある木簡が出土したことで決着がついた。その木簡には「己亥年十月上捄国阿波評松里」とあり、大宝令が施行される直前の699年まで、「評」の字が使われていたことが判明した。この発見をきっかけとして「改新之詔」を懐疑的に捉える傾向が強まり、戦後、特に20世紀の間は、「大化改新」は非常に低く評価されることになった。


しかし21世紀に入ってから飛鳥地域から多くの木簡が出土し、その中にそれまでの評価を大きく変えるものが含まれていた。その木簡には「乙丑年十二月三野国ム下評大山五十戸造ム下部知ツ」とあり、665年の段階にして「国―評―五十戸」という重層的な地方行政区分が定められていたことが明らかになった。また、それまでは675年に部曲が廃止されるまでは叶わないとされていた、居住地に基づいたサトの編成がこの時点で既に成立していたこともわかった。更に、「改新之詔」の第四条、新しい税制に関する部分では、明らかに「大宝令」とは様相が異なっている点も指摘されるようになった。


このように、明らかに大宝令の知識を基にして書かれたと思われる箇所もあるものの、中身の面で見て行くと、信用できる部分も十分にあるのではないかというのが、最近の問題提起として挙がっている。当初、木簡によって疑われた「大化改新」は、近年再び、新たな木簡の出土によって再評価される方向へと向かっている。孝徳朝の動向や大化改新の真偽を明らかにするためにも、今後新たな木簡の出土が注目される。


 

 


【講師プロフィール】
市 大樹(いち・ひろき)/大阪大学大学院 准教授
1971年、愛知県生まれ。2000年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学(2001年、文学博士)。
奈良文化財研究所研究員を経て、現在は大阪大学大学院文学研究科准教授。日本古代史専攻。木簡・交通史・飛鳥時代史を中心に研究。
著書に『飛鳥藤原木簡の研究』(塙書房2010年)、『すべての道は平城京へ-古代の国家の<支配の道>-』(吉川弘文館2011年)、『飛鳥の木簡-古代史の新たな解明-』(中央公論新社2012年)など。
第8回日本学術振興会賞、第8回日本学士院学術奨励賞、第26回濱田青陵賞、第2回古代歴史文化賞大賞を受賞。