記紀・万葉講座

「吉野と『古事記』と宣長と」

古事記を語る講演会 第2回 大淀町

2013年12月15日(日) 10時30分~15時30分
会場・世尊寺(大淀町比曽)
講師・本居宣長記念館 館長 吉田 悦之氏
演題・「吉野と『古事記』と宣長と」

パンフレットにリンク


 

講演の内容

本居宣長は『古事記』を天武天皇の声を記録した非常に尊いものと考え、その声を再生するために35年の歳月をかけて『古事記伝』を書いた。

古事記関係の年表で特に重要なのが672年の壬申の乱である。前年の天智天皇の崩御により、大海人皇子(天武天皇)は僅かな家来やお后とともに吉野に入ったが、672年の壬申の乱に勝利し、吉野から伊賀を通って、伊勢国、美濃国へと進行して行く。つまり吉野は再生の場ということになる。この天武天皇からその後の後継者の10~20年ぐらいの間に日本という国の名前ができた。国家にとって大事なものは、この国の名前と法律(689年に飛鳥浄御原令が制定)、そして歴史書である。小さな島国が1つの国家として認めてもらうためには、外国向け(特に中国)の公式の歴史書が必要になる。それが720年の『日本書紀』の誕生につながるが、それ以後、『日本書記』や『先代旧事本紀』が優遇され、『古事記』はこのあと、約1,000年顧みられなくなる。

生来、非常に勉強家であった宣長は京都で医者の勉強をしているとき、『先代旧事本紀』を購入するが、それに『古事記』がついてきた。やがて、宣長は古代中国語に翻訳された『日本書紀』にない大変大事なものが『古事記』の中にあることに気が付く。つまり、当時の日本の文化というのは声の文化であり、稗田阿礼の前で天武天皇はどのように語ったのか、それを聞こうとしたのだ。ちなみに宣長は文化の中心にありながら文字が使えない女性の文化に着目して、『源氏物語』の研究にも着手していく。

宣長の『古事記伝』の中には、天武天皇と元明天皇、稗田阿礼と太安万侶の4人の功績、この国土を治め、見守ってくださっている神々のおかげ(みたまのふゆ)だと思って、決しておろそかにしてはいけないと書かれている。一番大事なことはその人のおかげだと思い出すことにあると考え、父の約束、願いを果たすために13歳で吉野水分神社(宣長の父が子宝祈願した神社)に参詣し、43歳、69歳でも参詣している。思い出すことが供養になる、これは仏教にも当てはまることである。


 

 

講演後、吉田館長と古事記ゆかりの地をめぐるエクスカーションへご案内

「大海人皇子の足跡を巡る」
大海人皇子が吉野の宮に入る前に修行したといわれる世尊寺を起点に吉野宮跡(宮滝)を中心に巡った。
●内容/世尊寺→宮滝遺跡→桜木神社→浄見原神社→近鉄大和上市駅→世尊寺
●時間/13時00分~15時30分


 

 


【講師プロフィール】
吉田 悦之(よしだ・よしゆき)/本居宣長記念館館長
1957年三重県松坂市生まれ。國學院大學文学部卒業
1980年本居宣長記念館研究員となり、主任研究員などを経て、現在は館長。
主著『2001年宣長探し』、『本居宣長の不思議』など。