記紀・万葉講座

「古代歴史文化賞」記念シンポジウム/古代から未来へ 語り継ぐ私たちの道程(いま)

日時・2016年2月6日(土)
会場・銀座ブロッサムホール
主催・奈良県 協力・島根県、三重県、和歌山県、宮崎県 後援・朝日新聞社

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プログラム
第1部 ●開会挨拶
荒井正吾/奈良県知事
●基調講演
「アイヌ民族の成り立ちと古代日本」

講師:第3回「古代歴史文化賞」大賞受賞者 瀬川拓朗/旭川市博物館館長
第2部 「古事記」落語
出演: 桂文我氏
第3部 ●古代史ゆかりの知事サミット
「古代から未来へ~語り継ぐ私たちの道程(いま)~」

<パネリスト>
荒井正吾/奈良県知事
溝口善兵衛/島根県知事
鈴木英敬/三重県知事
仁坂吉伸/和歌山県知事
河野俊嗣/宮崎県知事
<コーディネーター>
小滝ちひろ/朝日新聞編集委員

第1部

●開会挨拶
開会に先立ち、荒井正吾奈良県知事が主催者として挨拶。
島根県、奈良県、三重県、和歌山県、宮崎県の5県が共同で実施した第3回「古代歴史文化賞」と大賞受賞者の瀬川拓郎氏を紹介。

●基調講演 「アイヌ民族の成り立ちと古代日本」 瀬川拓郎氏(第3回 古代歴史文化賞 大賞受賞)

最初のテーマは「アイヌとはどのような人びとか 私たちの祖先としての縄文人―アイヌ」。
まず、アイヌの人々は、北海道を中心として北千島からカムチャツカ半島の南端にかけてやサハリンの南部、本州の北端に至る広い地域に住み、縄文時代的な文化の伝統を色濃くとどめているとして、その根拠について言及。
本州の縄文時代のイレズミの文化はその後消えてしまうが、アイヌの人たちにはその伝統が残っていたことを例として挙げた。
続いて、縄文人の言葉の面については、ユーラシア大陸に2300ある言語はいくつかの大きな語族にまとめられるが、どの語族にも属さない孤立言語が9つあり、日本列島の周辺には、そのうちの4つ、日本語、朝鮮語とアイヌ語、ニヴフ語があると指摘。この4つの言語は、おそらく旧石器時代にこの東アジアの東端にやってきた人々の言葉である。このように様々な面から縄文人をはじめ日本人、アイヌというのは、その古層をとどめる人たちで非常に孤立的な人たちだというふうに考えられてきていると紹介。

次に縄文語とアイヌ語の関係について、万葉集の東国歌や防人の歌、あるいは九州西北部の肥前風土記歌謡の中の非常にアイヌ語との類似例を紹介。九州になぜアイヌ語の言葉が残っていたのかについては、九州の西北部の島々から縄文人と同じ特徴を持った骨が出てことや、魏志倭人伝に出てくる身体にイレズミをしている漁民の例などを挙げ、かつてアイヌ語学者からも、大隅国風土記の隼人の俗語とアイヌ語の共通性が指摘されたことなどにも言及した。

続いて、講演のテーマは「アイヌの歴史と古代日本」へ。アイヌと本州の歴史の歩みを比較。旧石器、縄文までは一緒だが、その後、アイヌ文化と日本文化の内容が大きく違ってきたこと、その歴史の歩みを考える上で、キーワードとなるのは「交易」であると指摘し、産卵場にのぼってくる大量の鮭やオオワシの尾羽根を交易品としていった例を紹介。また日本の古代文化のアイヌの文化への影響の例として、サハリンのアイヌが明治時代のはじめまで冬の家としていた竪穴住居が、本州のそれとまったく同じでその特徴をとどめていたこと、古代の日本の農耕文化や機織りでも、本州の地機織りの技術を変えることなくずっと伝えてきたこと、鎧にも日本の古墳時代の特徴をとどめていることを挙げた。

続いて、講演のテーマは「古代日本との関係をめぐる新たな視点」へ。アイヌの作った貝の腕輪では、奄美以南で産する南島産の貝が使われており、ただ文化的に九州の影響があったというだけでなく、弥生時代になると九州から北海道へ移住した人たちがいるのではないかと推測。

さらに、最近の話題として、北海道中で500基以上確認されている「チャシ」と呼ばれる砦のような聖域を紹介し、これは祭祀のための施設だと推測されているが、その起源をいろいろ考えてみるとそれは本州の古墳時代の埴輪で、これは祭祀施設であることがわかっている。
「日本の祭祀施設との関係があり、そういったものが13世紀に成立しながら砦に使われたり、いろんな用途に使われるようになったのではないか」と推論を語った。
また、サハリンのアイヌの棺についての考察を披露。この棺は非常に念入りに彫刻がされて、作るだけで1年はかかる。その間遺体を保存するためにミイラにしており、その後に棺に納めるという習俗がわかってきている。また、お墓の上に家の形をしたものを置くというのは、日本でも広く見られる習俗である。なかには、喜界島の地葬墓のように非常にサハリンアイヌの棺とよく似たものがあることを紹介。なお、日本の民族史の中に見られる家形は、非常に古い伝統を持つのではないかと語り、北東アジアに目を広げれば、ニヴフというサハリンの先住民のお墓やアムール川流域のナーナイという少数民族の葬送にも千木のようなものが見られるとし、「これはどうも相互に関係をしているのだろう」と語った。さらに調べてみると、日本、アイヌ、ニヴフ、さらにはアムール川の流域の人々の中に、3年の間喪に服するという習俗も共通して見られる。

最後に、「私たちはアイヌの歴史を見ることで、どんなことが分かるのだろうか」と問いかけ、一つは「アイヌの人たちを通じて私たちの共通祖先である縄文人のものの考え方や暮らし、言葉といったものを類推することができるだろう」とし、もう一つは「日本よりももっとオリジナルな形で日本の古代文化をとどめているのではないか、そうしたものを読みとれるのではないか」と語り、今後は「日本だけを見ていたら分からないような古代の東アジア世界、東アジア世界規模の文化的なつながりも、アイヌを鏡とすることで見えてくるのではないか」とその意義を締めくくった。

第2部

●「古事記」落語 桂文我氏

「古事記全部は無理なのでどこまでいけるか聞いてください」と口上を述べ、まず、その成り立ちを簡単に説明。
編纂後、長い間顧みられなかった古事記が、今こうして注目されるきっかけとなったのが、本居宣長の解説書「古事記伝」であることを紹介。話は伊邪那岐神・伊邪那美神の国うみから素戔嗚尊のヤマタノオロチ退治まで進んだところで時間となり「このあとは大国主尊にまつわる因幡の白兎の話、おもしろいですよ」というところで終演となった。

第3部

●古代史ゆかりの知事サミット

<『日本書紀』を音で読んでみよう 奈良県知事 荒井正吾>
2012年の『古事記』完成1300年から2020年の『日本書紀』完成1300年にかけて、奈良県は、記紀・万葉プロジェクトを推進し、今 年度から『日本書紀』を中心に事業を展開しており、本日の発表の主眼は日本書紀を音で読んでみることだと述べる。
記紀・万葉の表現の違いについて、『古事記』は漢字を使って大和言葉で表現し、『万葉集』は万葉仮名を使って日本語の歌謡を表現。
一方、『日本書紀』は正式な漢文、正格漢文と言われているが、果たしてそうだろうかというのが今日のテーマだと述べ、森博達先生の説を中心に論を展開。
まず、『日本書紀』の漢文には、中国では使わない漢字の使い方をしているものがあることが18世紀くらいから発見されており、倭 習と呼ばれ倭訓に基づく漢字の誤用とか奇用であると説明し、その例を挙げる。次に、発音について、万葉仮名の「カ」という音の発音を例に、時代による違いや中国人の使い分けを挙げ、さらに、「在(ざい)」と「有(ゆう)」という2つの字の使い分けにもふれ、誤用が見つかっていると説明。森氏は『日本書紀』区分論として、音韻や漢文の文法上の誤り等から中国人が作った巻であるα群と、日本人使った巻であるβ群に区分できると主張されていることを紹介。
続いて『日本書紀』の成立過程に触れ、それぞれの巻に携わった人物が類推されていることを紹介。あわせて日本最初の憲法である十七条憲法をいつ誰が作ったかにも触れる。そして、『日本書紀』の完成から2020年に1300年を迎え、憲法十七条の聖徳太子は、その2年後、2022年が没後1400年であることを念頭に、『日本書紀』と聖徳太子を一緒に考えることを提唱。
最後に『日本書紀』を音を出して読んでみよう、というのが今日のテーマに沿って、森博達先生の昔の読み方の音を披露。会場の皆さんと一緒に謡って、発表を終えた。

<島根県の歴史を育んだ豊かな地域交流 島根県知事 溝口善兵衛>
最初に出雲市の荒神谷遺跡について、大量の銅剣と銅鐸、銅矛が発見されているが、銅剣の数が全国の遺跡でも突出しており、さらに銅剣と銅鐸が一緒に発見された唯一のケースであることも紹介。
一般に九州の銅矛文化、近畿中心の銅鐸文化言われるが、出雲は西からも東からも文化が入ってきたことがわかる。また、大陸との関係についても、漢の時代の楽浪土器が出雲から出土すること、朝鮮半島南部の釜山近くの勒島遺跡から出る勒島式土器も山陰から出土することを紹介。勒島式土器は出雲平野に移住をした朝鮮半島の人々が持ち込んだのではないかと推測をされていることも報告。
さらに島根でつくられた土器が釜山近郊で見つかっていることもあり、双方の交流が裏付けられるとした。そして、出雲の玉造温泉 近くにある花仙山という山からしか出ない碧玉が、全国で発見されているのも当時の交流を物語っていると言及。さらに、島根半島の日本海側の町・恵曇(えとも)と北海道室蘭の絵鞆町との地名の共通性からも山陰と北方の交流が伺えるとのこと。続いて、弥生時代の出雲地方の王の墓、四隅突出型墳丘墓の特殊性に触れ、全国で最大級のものがあることからも、一定の権力の存在、そして大陸との交流を伺わせることを紹介。
最後に、最近玉がどこで作られ、どのように移動していったのか、交流のルートが解明されつつあり、「古墳時代の玉類」を研究テーマとして、関係する14の県で共同研究が進んでいることを紹介。昨年12月には、韓国に渡り朝鮮半島の玉の調査を実施。古代日本と朝鮮半島の交流についても、玉の研究によって新しいことが分かってくるのではないか。こういった交流から新たな発見ができることを期待している、と締めくくった。

<古代の伊勢 三重県知事 鈴木英敬>
まず、伊勢の国が可怜(うま)し国と言われるルーツが、『日本書紀』で天照大御神が倭姫命に祭祀を託した一節にあることを紹介。伊勢は、神宮の鎮座地であり中央と常に直結をしていた地である。
続いて、伊勢の国の特徴的な古墳を二つ紹介。ひとつは松阪市にある宝塚古墳。5世紀初頭に築造された伊勢地方最大の前方後円墳で、1号墳は全長111メートルと巨大である。また、出土した船形の埴輪は全長140センチと船形の埴輪としては日本最大。もうひとつは高倉山古墳。6世紀末に築かれた直径40メートルの円墳であり、巨大な横穴式石室を有することでも知られている。続いて、サミットが開催される志摩市、志摩国について紹介。古代には「御食(みけ)つ国」と言われ、これは天皇の食料を献上する国の意で、志摩の枕詞として使われている。平城京跡から出土した木簡では、アワビやナマコなどの食材の記述のあとに、今の志摩市にあたる「名錐(なきり)」「船越(ふなこし)」など地域の地名が記されており、朝廷に海産物を納めていたことが裏付けられた。志摩は小さい国だったが、朝廷で重要な位置を占めていたと考えられることを紹介。次に蟹穴古墳を紹介。答志島にある古墳で、7世紀後半に造られたものである。大正10年に出土した台付長頸瓶は、非常に美しい土器として知られ、大正12年に東京国立博物館に寄贈。その美しさから海外に貸し出されることもあり、世界をかけめぐる土器と呼ばれる。大英博物館はじめイタリア、アメリカといったサミット参加国でも展示されていると紹介。そういう交流のなかで新しい文化が生まれていった。古代から各地との交流が盛んであった三重県。5月の伊勢志摩サミットで、さらに世界と交流を深めて地域の発展に繋げていきたい、とまとめた。

<和歌山県知事 仁坂吉伸>
本日が神倉神社の御燈祭の日であることを述べ、同じく新宮で行われている御船祭とこの2つが、今年国の重要無形文化財に決まった。
那智にはもう一つ、那智の火祭りがある。熊野になぜ火祭りが多いのかと考えると、これは記紀に結びつく。火をもって汚れを鎮めるというのが多かったのではないかと述べる。那智の火祭りは、さらに火は蘇り、あるいは農業の豊穣を祝うということでもあり、そこに田楽がくっついている、ということではないかと紹介。
次に記紀に触れる。宮崎県から奈良県へ、和歌山県は神武天皇をお届けした県である。大阪へ行こうとしたら、長髄彦に邪魔をされた。
それで海沿いにまわり、那智勝浦町と新宮市の間ぐらいに上陸なさったようだ。記紀によると、佐野というところに上陸しているが、新宮市に佐野という地名がある。さらに三輪を経てこの神倉山のゴトビキ岩を目指す。天照大御神とか高御産巣日神から遣わされた宝剣を持った布都御魂を持たれた高倉下がやってきて、それでお助けをして山へ導かれた。御燈祭はそれを祀っているお祭りであると紹介。
したがって「我々は、松明に火をつけて一等賞!とかやっとりますが、これは深く日本の歴史に結びついたお祭りなのである」と話をまとめた。

<我が県が誇る古代 宮崎県知事 河野俊嗣>
宮崎は古来より「ひむか」と言われてきた。天照大御神の孫、邇邇芸命が天孫降臨をされたのが、高千穂の峰の頂上。そして、邇邇芸命は、この地が「朝日の直刺す国、夕日の日照る国」、とても良い地であるとおっしゃった。そして邇邇芸命と木花之佐久夜毘売の出会いの場とされるのが西都原古墳群のある西都市のあたりであると紹介。邇邇芸命の子である火遠理命、いわゆる山幸彦は、海を司る綿津見大神の娘、豊玉毘売と結ばれ海の力を得るが、その2人が祀られているのが、青島神社。そしてその子どもの鵜葺草葺不合命は、鵜戸神宮に祀られており、さらにその子どもが後に初代天皇となられる神武天皇、神倭伊波礼毘古命で、宮崎の西方、高原町の狭野神社に祀られていると紹介。
神武天皇が生まれ育ったとされるこの日向という地は日の恵みによって大きな力を得られる、山や海の自然のエネルギーを受けられる場所であったと言及。
ここで話は、一気に現代へ。今はキャンプシーズンで、宮崎では今年もプロ野球は7チーム、Jリーグ22チームがキャンプをしていただいている。宮崎県では、このような魅力を「日本のひなた宮崎県」というキャッチフレーズでプロモーション中である。古事記に書き記された「日向」(ひむか)」、そして「日向(ひなた)」。古代、先人達の思いが繋がった言葉でもあると感じている。これこそ宮崎が「神話の源流みやざき」である証ではないかとまとめた。もう一つ、昨年12月、多くの伝承が残る高千穂郷・椎葉山の地域が、国連食糧農業機関から世界農業遺産の認定を受けた。標高1500メートル級の山に囲まれた非常に険しい地域だが、美しい棚田、森林が広がり、日本で唯一の焼畑も行われるなど、自然と共生する地域であることを紹介。そして神楽などを通じ地域のコミュニティが しっかりと農林業を守っている。それが世界にも認められたということを最後に紹介された。

続いて、今日のテーマ「古代から未来へ」に沿って、いま紹介した古代の様子をこれからどう活かしていくのかを 語っていただくよう発言。

<宮崎県知事 河野俊嗣>
世界農業遺産に認定をされた高千穂郷・椎葉山地域では、厳しい中で農林業が行われているが、それを支えるコミュニティがしっかりしている。そして、その象徴のひとつが神楽だと発言。宮崎県では207の神楽が行なわれており、神楽があるからこそ地域が守られている。我々はその地域の絆を大切にしつつ、『古事記』や神話、伝承、神楽といったものを大切にしながら地域づくりをし、日本の日向(ひなた)として、いろんな力を発揮していきたいと表明。

<和歌山県知事 仁坂吉伸>
神話についての思いを国民の中に持たないのは、ちょっと貧しい感じがする。世界の国々は神話をよく勉強してよく知っている。ところが日本は戦後の時期、それが途絶えてしまった。今後は子供たちにも、記紀に代表されるような神話を勉強してもらいたい。和歌山でも先ほど話したような神話があることを知らないで育っている子供が多々いる。そこで、神話も含め、郷土についての知識を身につけてもらおうという運動をやっていることを紹介。

<三重県知事 鈴木英敬>
三重県では、竹田恒泰さんの全国のホテルや学校に『古事記』を置こうというプロジェクトを応援している。三重県の松阪市出身の本居宣長が、35年をかけて『古事記伝』を著したということもあり、全国で唯一、すべての県立学校73校に『古事記』を配布。また、伊勢志摩サミット応援事業として英語訳付きの『古事記』を、伊勢志摩地域を中心としたホテルに置き、海外からのお客様に『古事記』に触れていただくようにしている。

<島根県知事 溝口善兵衛>
ITなどの先端的な技術、文明というものに今の日本は大きな影響を受けているが、一方で豊かな自然、古い文化、歴史なども大切だと思う方が増えてきている。今後は、出雲大社をはじめ、国宝となった松江城、森鴎外が生まれた日本遺産の津和野町、世界ジオパークに認定された隠岐など、よりアピールしていきたい。地方創生の時代だが、我々の手元に残っている自然、豊かな文化、歴史などを活用することで地方の活性化も図ることができるのではないか。

<奈良県知事 荒井正吾>
日本は、奈良時代に中国文化によるグローバリズムに直面し、大変苦労したが、お互いの文化を上手に調和させた。その一例が漢字で日本の歴史を記した『日本書紀』『古事記』である。グローバリズムと独自の文化の折衷、調和は、日本では昔からやっていたのだから自信を持ってしっかりやっていきたい。その知恵、工夫のエネルギーは歴史の中で育まれたものであり、今後も古代から培われたエネルギーを大切にしていきたい。

<コーディネーター 小滝ちひろ>
いろんなプレゼンテーションを聞き、現地に行ってみたくなった。やはり聞いてみるよりも実際自分で感じることの方が得るものがいっぱいあるはず、どうぞ現地へ足を運んでください