記紀・万葉講座

「古代歴史文化賞」記念シンポジウム/いま、古代のこころが輝くとき

日時・2015年1月31日(土)
会場・日本教育会館 一ツ橋ホール
主催・奈良県 協力・島根県、三重県、和歌山県、宮崎県

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プログラム
第1部 ●主催者挨拶
荒井正吾/奈良県知事
●記念講演
「木簡からみる文化交流~国の成り立ち、文字の成り立ち~」

講師:第2回「古代歴史文化賞」大賞受賞者 市大樹/大阪大学大学院文学 研究科准教授
第2部 ●記念演奏
「オペラ『万葉集』」より、千住明のピアノとソプラノ・バリトンソリスト
による特別編成での演奏

出演: 千住明/作曲家、末吉朋子/ソプラノ、和田ひでき/バリトン
第3部 ●古代史ゆかりの知事サミット
「いま、古代のこころが輝くとき~古代歴史文化を未来に活かす~」


<パネリスト>
荒井正吾/奈良県知事
溝口善兵衛/島根県知事
鈴木英敬/三重県知事
仁坂吉伸/和歌山県知事
河野俊嗣/宮崎県知事
<ゲストパネリスト>
千住 明/作曲家
<コーディネーター>
菅谷文則/奈良県立橿原考古学研究所所長

第1部

●主催者代表挨拶
荒井正吾奈良県知事が主催者を代表して挨拶。
島根県、奈良県、三重県、和歌山県、宮崎県の5県が共同で実施した第2回「古代歴史文化賞」と大賞受賞者の市大樹氏を紹介。
2020年東京オリンピックの開催年が「日本書紀」完成の1300年後ということに触れ、「こういった取り組みが日本の源流である古代歴史を世界に知っていただく一助になれれば」と語った。

●記念講演 「木簡からみる文化交流~国の成り立ち、文字の成り立ち~」
奈良文化財研究所での仕事、国立歴史民族博物館の共同研究での経験が、今回の受賞につながったと考えている。
現在日本では38万点以上もの木簡が見つかっており、うち約4万5千点が飛鳥時代のものである。そのひとつ、法隆寺金堂釈迦三尊像の台座に転用された木簡(621年書写)には、渡来系氏族の「椋費(クラノアタイ)」が登場する。「椋」はクラ(倉、庫、蔵)を意味するが、実は朝鮮半島で作成された文字である。これが渡来人とともに日本に伝わったのである。木簡のなかには、字書を書き写したものも存在する。北大津遺跡(大津市)から出土した木簡では、たとえば「鎧」字について「与里比」(ヨロヒ)という読みを付けている。「里」を「リ」ではなく「ロ」と発音するのは、呉音・漢音よりも古い古韓音によったものである。古韓音としては他に「移」(ヤ)・「皮」(ハ)などがあり、朝鮮半島から伝わった音とみられる。また、持統3年(689年)の暦を記した木簡が石神遺跡(明日香村)から出土した。これは200年以上も昔に中国で発明された元嘉暦を写したものであるが、この暦は朝鮮半島の百済を介してもたらされたものである。このほか様々な木簡を読み解くことによって、日本が古代国家の形成を本格化させていく飛鳥時代に、中国はもちろんのこと、朝鮮半島を通じて多くを学んだことがわかる。木簡に記された文字の背後には、東アジアにおける活発な文化交流の実態が隠されているのである。

第2部

●記念演奏 「オペラ『万葉集』」より
古代の息吹を音楽により表現した。

第3部

●古代史ゆかりの知事サミット 「いま、古代のこころが輝くとき~古代歴史文化を未来に活かす~」
荒井奈良県知事、溝口島根県知事、鈴木三重県知事、仁坂和歌山県知事、河野宮崎県知事がパネリストとして登壇。
ゲストパネリストに千住明氏、コーディネーターに菅谷文則奈良県立橿原考古学研究所所長を迎え、「いま、古代のこころが輝くとき~古代歴史文化を未来に活かす~」というテーマで、各県の古代歴史文化を紹介し、これらの未来への継承と活用法について語りあった。

<古代史から学ぶ現在、未来 奈良県知事 荒井正吾>
古代の奈良はとてもグローバルな社会だった。中国から学んだ律令国家の成立、ガンダーラの仏教美術を源流とする法隆寺金堂釈迦三尊像、またアスカ(飛鳥、明日香)という地名は、ひょっとしたら遠くウズベキスタンや朝鮮半島の影響があるのかもしれない。我が国は、国家間の緊張関係にさらされたり、海外の文化・文明をそのまま受容し、あるいは日本独自の改変を加えて取り入れたりする、などの側面を持ちながら近代化していった。
現代のグローバル社会において、われわれ日本人はどのように生き残っていけばよいのかを考える際、日本の立ち位置を探求し、それを確立することが重要。
この「日本の立ち位置」を思考する際、日本史上初めてグローバル社会に直面した奈良・飛鳥時代や、それ以前の古代史を深く探求することが大いに役立つ。古代の歴史を学ぶことを通して、現在と未来の力にしていくべきだ。

<現代まで続く豊かな歴史文化 島根県知事 溝口善兵衛>
弥生時代の島根には出雲を中心とした地域的な王国があった。荒神谷遺跡での358本の銅剣の出土や、加茂岩倉遺跡での39個もの銅鐸の発見、全国最大級の四隅突出型墳丘墓の存在などがそれを裏付けている。また奈良時代のはじめに編纂された『出雲国風土記』は、全国で唯一完本で残されている。こうした島根の豊かな歴史文化は、出雲大社やユネスコ世界無形文化遺産に登録されている「佐陀神能」をはじめとした民俗芸能などを通じて、今も継承されている。昨年14県の知事が合意をして「古墳時代の玉類」の連携調査研究を始めた。継続して研究を行い、古代世界の交流や発展を解明する一助としたい。

<古代歴史の体感が大切 三重県知事 鈴木英敬>
西暦670年頃から1330年頃までの間、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替わりごとに皇族女性から「斎王」が選ばれ、都から伊勢に派遣されていた。斎王の宮殿と斎宮寮という役所があった場所は「斎宮」と呼ばれ、地方都市としては太宰府に次ぐ規模を誇っていた。現在、県立の斎宮歴史博物館などがある国史跡斎宮跡の一角に、斎宮寮の中心的施設と見られる3棟の建物と当時の区画道路の復元など史跡公園の整備を進めており、今年の夏頃に完成の予定である。三重県には他にも、伊勢神宮、熊野古道という古代歴史を体感できる場所がある。歴史を体感することで、自分たちの歴史を大切にするという感覚を多くの方に抱いて欲しい。

<受け継がれてきた「たから」を未来へ 和歌山県知事 仁坂吉伸>
和歌山県には、「神武東征」神話にまつわる地域がいくつかあり、神武天皇が上陸した熊野は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)が鎮座する聖域である。県北部には、国の特別史跡である岩橋千塚古墳群、伊勢神宮と同等の別格の社である日前神社・国懸神社などがある。
そのほかにも、『万葉集』にゆかりのある和歌の聖地・和歌の浦や有間皇子の終焉の地・藤白峠など、和歌山県には数多くの古代史の舞台が遺っている。この先人が護り、受け継いできた「たから」を、そのまま未来へつなげていくことが、現代に生きる我々の使命だと考える。

<神話の源流みやざき 宮崎県知事 河野俊嗣>
日本最古の歴史書である古事記は、その時代の先人達の『記憶』を記した『記録』である。一方、宮崎県には日本最大級の古墳群である西都原古墳群があるが、これは我々の祖先が確かにここにいて、生きていたという印であり、大地に刻まれた『記録』である。その他にも宮崎県には「天孫降臨」や「海幸・山幸」など、先人達の『記憶』を『記録』として描いた古事記の物語にゆかりの地が数多くあり、地域の人々によって大切に引き継がれてきた神楽、そして古事記に描かれていない小さな物語も地域の人々によって語り継がれてきている。宮崎県は、『記録』と『記憶』が幾重にも重なり合ってひとつになった、まさに「神話の源流」である。

<古代の音楽の解明も楽しみ ゲストパネリスト 千住明>
日本の音楽で、決定的な変化の瞬間が2回ある。一つは平城遷都の時。奈良の大仏開眼で、シルクロードから日本に伝わり、現在は正倉院に伝わる楽器がある。また、声明や能・狂言などが日本の文化の中に入ってきた。その次は明治維新だ。ここで西洋の音楽が伝わり、ドレミファソラシドの音楽になってきた。正倉院に五弦琵琶というものが伝わっているが、これは世界で唯一現存するものだ。起源のインド、伝来の中国では廃絶している。実は本当の古代の音楽というものは再現できない。今日のシンポジウムを聞き、古代史の研究のように、古代の音楽が解明されないかということを考えた。

<サミットの結びとして 奈良県立橿原考古学研究所所長 菅谷文則>
今回のパネルディスカッションでは、弥生時代からはじまり、平安時代~鎌倉時代まで、約2000年ほどの五県の様子が披露された。いま日本全国で当たり前に使っている「アイウエオ」という五十音順についてだが、これは古代から全国に広まっていたとみなさん思っているでしょうが、学校教育において、明治期の教科書から採用されるようになったようだ。それまでは各地に豊富な言葉、神話、説話、伝承などがあった。「地方創成」という言葉があるが、見方を変えれば地方は既に創成されているとも言える。各地が力をつけて、これから未来に向けて発展するときの切り口として、神話があり、発掘調査で解明される歴史、大切にされてきた仏像等の文化遺産がある。
それから、朝鮮半島、中国大陸、シベリア等との往来の歴史を究明することも必要である。自分たちの住む地域の歴史、古代のグローバルな文化交流などを改めて見つめることで、より良い未来をつくる方策を得られるのではないかと、改めて考えさせられた。