万葉集なりきり大冒険
~なぞとき!最古の歌の世界~
日時:2020年10月24日(土)・25日(日曜日)10時~16時
会場:奈良県立万葉文化館
プログラム
座学 |
演題:「万葉集は現代のTwitterだ!」
講師:國學院大學研究開発機構准教授 渡邉 卓 氏
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ワークショップ |
テーマ:「奈良時代の髪型づくり」
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謎解きゲーム |
テーマ:「コトノハといにしえの歌を救え!」
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座学
演題:「万葉集は現代のTwitterだ!」
今日は「万葉集は現代のTwitterだ!」というお話をさせていただこうと思います。現代人がよく使っているツイッターは、自分の心のつぶやきを文字にして携帯電話やパソコンなどから配信するものです。“あぁ今日はデートなのに雨だ”とか“そういえば今日テストだった”“きれいな花が咲いていたよ”などとつぶやく。私はこのツイッターと万葉集が非常に似ていると思っています。ツイッターは日々のつぶやきをメッセージにします。万葉集は古代の人の心のつぶやきを歌にしたのです。ツイッターは140文字以内という制限がありますが、万葉集も五・七のリズムを繰り返すという文字制限があります。ツイッターではハッシュタグというものによって、同じキーワードを共有します。万葉集も巻や歌のテーマによって同じキーワードの歌でカテゴリーが作られていくことがあります。ですから、万葉時代の人がやっていたことと、いま現代人の私たちがしていることには大きな差がないのです。では万葉集とは一体どんなものだったのか。「広辞苑」という辞書から引いてきました。「現存最古の歌集。二十巻。仁徳天皇皇后作といわれる歌から淳仁天皇…」とやや難しいことが書いてあります。簡単に説明すると現存最古の歌集、つまり日本で一番古い歌集ということです。ちなみに歌というのは日本にしかない文化ですから、現存最古の歌集といったら世界で一番古い歌集ということになります。そして約4500もの歌が収められています。それをどうやら大伴家持という人がまとめたらしく、豊かな人間性にもとづき現実に即した感動を率直に表す調子の高い歌が多い。万葉集の歌は人の気持ちを豊かに表現して、現実に即した素直な歌が多いということです。万葉集にはいろんな種類の歌があります。その素直な気持ちはどんな形で詠まれているかというと雑歌・相聞歌・挽歌と呼ばれる3つのカテゴリー、つまりハッシュタグみたいなものです。雑歌・相聞歌・挽歌というと難しいですが簡単です。雑歌は儀式とか宴会の歌、相聞歌というのは恋の歌です。挽歌というのは人が亡くなって悲しいという歌です。私たちも人を好きになることがあると思います。また人が死んだら悲しい。また自然に触れれば花がきれいだなと、さっきのツイッターのように感じたりもすると思います。そういった形で感じたそのままが歌になっています。万葉集の歌は4種類くらいに分かれます。代表的なのは長歌と短歌です。短歌は五・七・五・七・七の五句で詠まれた歌で、万葉集4500首の歌のうちほとんどを占めます。長歌は260首くらいあります。長い歌と短い歌、この2つで万葉集が構成されていると思ってください。では、この大和の土地から万葉集の歌を少しひもといてみたいと思います。
〈天皇香具山にのぼり、国を望みし時の御製の歌〉
大和には 群山有れど 取りよろふ 天の香具山 騰り立ち 国見を為れば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ちたつ うまし国そ 蜻嶋 大和の国は
(やまとには むらやまあれど とりよろふ あまのかぐやま のぼりたち くにみをすれば くにはらは けむりたちたつ うなはらは かまめたちたつ うましくにそ あきつしま やまとのくには)
今の言葉に言い直すと、大和の土地には多くの山々があるけれども、姿も美しく取り装っているのは香具山だ。その香具山に登って国見をする。これは天皇が詠んだ歌ですから、自分が治めている世界はどういう風に広がっているのだろうと見るんですね。すると、ご飯をつくっている煙が出ている、人々が豊かに暮らしているんだな。海原にはカモメがたくさん飛んでいる。カモメがたくさん飛んでいるということは、下に魚がたくさんいるということで豊かな海です。そして蜻はトンボという意味。トンボが飛んでいるところは稲の上ですから豊かな稲が実っている。なんて素晴らしい国なのだと国をほめている歌なんですね。さて問題です。この香具山に登って人々が煮炊きしているご飯の煙は見えるでしょうか?海はみえるかな?見えないですよね。ではどうして海の歌を詠んでカモメが飛んでいるって言ったのでしょう。見えないけど心の中では海が見えたんですね。こういった万葉集の歌はどんな場所で生まれたかというと、実は宴の席、宴会の席で生まれることがありました。今の新しい元号である令和とも深く関わっています。令和は万葉集にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ」という歌の序から取られました。この序が付された歌は、梅の花を見ながらおこなった宴会の席で詠まれました。この令和の出典になった歌を詠んだ時、いろいろな人が集まって32首の歌が詠まれていますが、その中に主人たる大伴旅人という人が詠んだ歌があります。
わが苑に 梅の花散る 久方の 天より雪の 流れ来るかも
(わがそのに うめのはなちる ひさかたの あめよりゆきの ながれくるかも)
私の家の庭に梅の花がいっぱい散っている。見上げていくと遥か遠くに天の上から雪が降ってきているようだ。と梅の花が散っているのを見て詠った歌です。ここから1つわかることがあります。梅の花と雪が同じになっているんですね。そうすると梅の花の色は白です。昔ピンクの梅の花はありませんでした。しかも梅の花というのは日本にはなかった植物なのです。中国からやってきた最先端の流行の花を見て詠んだ。万葉集はいろいろな場所で歌が詠まれていますが、多くはこの宴会の場所で詠われたと考えられています。もともと宴は神様をお祀りする場所だったのですが、神様に食べ物やお酒を捧げる、それを段々と人も食べる。すると人がご飯やお酒を楽しんで歌をうたうのです。
次は子どもから親を思う歌です。
父母が 頭搔き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる
(ちちははが かしらかきなで さくあれて いひしけとばぜ わすれかねつる)
お父さんやお母さんが頭を搔き撫でて、無事でいてよ、頑張ってきてよと言った言葉が忘れられないって思い出している歌です。頭を撫でられたことも忘れられないと言っているということは、今お父さんお母さんと離れている。なぜ元気でいてくれよと言われたかというと実はこれは防人の歌といって、遠く関東の方から九州地方に兵隊として出かける人の歌なんです。両親のことを思い出している歌です。万葉集は全て漢字で書かれていて、基本的には当時の標準語で記されています。でもこの歌は九州地方の人の歌で、ここに「言葉」という漢字が出てきますが、漢字では「気等婆」と書かれているので、「ことば」と読まず「けとば」と読みます。また、「幸(さき)」と読みそうなところも漢字では「佐久安例弖」と書いてあるため、「幸(さ)くあれ」と読みます。いずれも当時の九州方言です。そうすると万葉集は、漢字を使って日本語を表しているけれども、方言までも文字化されているということになります。
テープレコーダーやICレコーダーはない時代に、言葉を録音してくれているのです。
まさにその時のつぶやき、そのままなのです。
万葉集では天皇から名もない人まで、いろんな職業の人たちが歌を詠んでいます。地位は関係ありません。また誰が詠んだか分かってない歌のほうが多いのです。まさにその当時の人たちの心のつぶやきを歌にして、万葉仮名で書き記した。歌は文字にされたことで、次の時代に伝わって1300年たった今でも私たちはその歌を読み、自分の心と同じだなと感じます。つまり万葉集は我々の心をとらえ続けている歌集だということになります。今日ご紹介した歌はわずかですが、折に触れて万葉集の歌を見てみると自分の気持ちと重なるところがあるかもしれません。万葉集から選ばれた令和という元号の時代にあって、万葉集の歌に共感することは古代の人々のつぶやきをリツイートすることであり、現代に再びその情景を思い出させるというものかもしれません。また自分の心をつぶやいて歌にしてみたら万葉時代のことが少しわかるかもしれません。
ワークショップ
テーマ:「奈良時代の髪型づくり」
古代の日本では男性も女性も髪を「結う」文化があったことを学びながら、奈良時代の髪型「双髻」「美豆良」づくりを実施しました。
なぞときゲーム
テーマ:「コトノハといにしえの歌を救え!」
「コトノハといにしえの歌を救え!」
『万葉集』をテーマにしたなぞときゲームを実施しました。ナゾを解きながら「いにしえのことばの世界」に触れ、万葉集に親しむ機会となりました。