A1. 天照大御神がこもってしまうと、高天原(たかあまのはら)も葦原中国(あしはらのなかつくに)も暗くなり、夜がずっと続き、あらゆるわざわいがすべて起こったといいます。そこで、すべての神々が天の安の河原に集まり、思金神(おもいかねのかみ)の知恵を借り、天照大御神を石屋から出しました。天宇受売命(あめのうずめのみこと)が、天の石屋の戸の前に伏せた桶を踏みならし、胸などもあらわにし歌い踊り、それをみた神々が高天原が鳴り響くほど大笑いしたという場面は特に有名です。笑い声を聞いた天照大御神が不思議に思い、天の石屋の戸を細めに開け、さらに自分よりも立派な神がいると聞いて鏡をのぞきこんだ隙に、力持ちの天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が手を取って外へ引き出したのでした。
A2.「古事記」には、「眼は赤かがち(ほおずき)のようで、一つの身体に八つの頭と八つの尾。その身体には日陰蔓(ひかげかずら)と檜、杉が生え、身体の長さは谷八つ、山八つにわたっている。その腹はいつも血が流れ、ただれている」と書かれています。八俣とは八つに別れているという意味です。一説には、島根県に今も流れている斐伊川がたびたび氾濫する暴れ川であったことからこのような大蛇伝説が生まれたとも言われています。
A3.確かに大国主神には、「大国主神」以外に「大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)」、「葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)」、「八千矛神(やちほこのかみ)」、「宇津志国玉神(うつしくにたまのかみ)」と全部で5つの名前があります。これはこの神のさまざまな側面を示すものだと考えられています。「大国主神」は「偉大な国の主」、「大穴牟遅神」は意味はよくわかりませんが数々の試練を越えるまでの名前、「葦原色許男神」は須佐之男命(すさのおのみこと)が呼び表した名前で、葦原中国(あしはらのなかつくに)の勇猛な男という意味、「八千矛神」は多くの矛を持つ神という意味で、強大な武力を備えていることを示します。「宇津志国玉神」は、「現し国」という現実の世界を支配する神という意味になります。さらに後の時代になると、「大国」を「だいこく」と読むことから、七福神の大黒様とも重ね合わせて祀られるようになっていきます。
A4.八咫烏は、高木大神(たかぎのおおかみ)が遣わした大きなカラスのことです。道案内の他にも、宇陀では神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)(のちの神武天皇)の使者として活躍しました。「八咫烏」の「咫」は親指と中指とを広げた長さで、「八」は大きいことを意味する言葉です。「古事記」には書かれていませんが、八咫烏は三本足とされ、最近ではサッカー日本代表のシンボルマークとしても知られるようになりました。
A5.第16代・仁徳天皇があるとき高い山に登って四方を見渡すと、かまどの煙が見えません。天皇は、国中が貧窮していることを知り、三年の間、人民の租税と夫役をすべて免除しました。また、自分の宮殿は雨漏りがしても、修理をしないで過ごしました。後に再び国の様子を見ると、今度はかまどの煙が満ちていたので、租税と夫役を命じました。人々が税の取り立てなどで苦しむことなく繁栄したので、仁徳天皇の治めた時代を「聖帝の世」と呼ぶようになったのだと、「古事記」に記されています。