ここに奈良の都があったころ、どれほど多くの建物が威容を誇り、どれほど多くの人々が行きかっていたことだろう…。これは、発掘調査をもとに新しく据えられた礎石だが、秋草が風にそよぐ季節には、確かに歴史の一場面を我々に語りかけてくるような気がしました。
春日の神様は、神鹿に乗って鹿島からお見えになったといいます。だから奈良の地は、いつも春の日を浴びているようにあたたかさに満ちているのでしょうか。鹿たちは、そんなおだやかな奈良の地で生きていることに感謝をするかのように、奈良公園一帯の芝を食み、いつも美しく整えてくれているのかも…。そんなことを思う夏の日の一場面です。
朝日が昇る約30分前の静寂の美を求めて、平城京跡の北側池へと向かいました。大極殿のシルエットが朝焼けに浮かび、ブラックとパープルの世界を織りなす時間が訪れました。そして、タイミングよく二羽の鴨も現れ、古き都のイメージをさらにふくらませることができました。 当サイトのTOPページで流れている記紀・万葉ゆかりのイメージ写真も澤氏撮影
「なんと(南都)きれいな平城京」という語呂合わせがなつかしいという方もおられるだろう。710年、藤原京から平城京へと都は遷された。 ときの元明天皇の遷都の詔には「四禽図に叶う」という一文があり、北、東、西がそれぞれ山に囲まれ、南が開けた場所で、都を置くには理想の地であるとされた。平城京は、712年に『古事記』が元明天皇に、720年に『日本書紀』が元正天皇に献上された地でもある。 その後、聖武天皇の時代に、一時的に恭仁京、紫香楽宮、難波京に都が遷ったこともあったが、784年に長岡京を経て、794年に平安京に遷都するまでの70余年、国の中心はここ平城京にあった。平安遷都以降は田畑となったが、明治以降に平城京の測量や保存運動が興り、1952年には特別史跡に指定され、1998年には平城宮跡を含む「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録された。2010年に平城遷都1300年祭が行われ、第一次大極殿が復原された。