室生寺 「女人高野と桂昌院」大本山室生寺 座主/網代智明

―室生寺が女人高野と呼ばれる所以をお教えください。
網代座主高野山が女人禁制だったため、女性もお参りできるよう格式のある寺を弘法大師・空海が開いたと伝わっています。実際に女人高野と呼ばれるようになったのは時代がもっと下ってからで、記録に残る最初の女人参詣は1450年、九条家、不断光院の尼僧衆によるものです。しかしそれ以前から女性の参詣は行われていたようです。
室生寺は長く興福寺の勢力下にありましたが、元禄年間に護持院隆光僧正と5代将軍徳川綱吉公の母、桂昌院様のご尽力で真言宗の寺となりました。桂昌院様は寺の復興のため多額のご寄付をくださるなど心を寄せられ、そうしたことから女人高野の名が付いたようです。
悩みを表に出すことがほとんどできなかった当時の女性にとって、ありがたい寺だったことでしょう。そして今も、参拝者には女性が多いですね。室生寺には表情の優しい女性的な仏像が多く、そんな仏様たちと向き合い、心安らげる時を過ごされているようです。
―桂昌院は室生寺にとって、どのような存在なのでしょうか?
網代座主当時、寺の建物は大変傷んでいましたが、桂昌院様からの多額のご寄付で大修復を行うことができました。金堂がその最たるもので、元々は内陣と僧侶が礼拝をする場所しかなかったのですが、一般の方々が入れる礼堂が増築されています。今も良い状態で残っているのは、この時の修復によるところが大きいでしょう。
桂昌院様は当寺だけでなく、あちこちの寺にご寄進され、復興の力添えをなさいました。ご自分だけでなく幕府、町人の幸せをも願う祈りの心を強く持っていらしたのだと思います。当寺では徳川家の葵の紋と「九目結紋(ここのつめゆいもん)」という桂昌院様のご実家の家紋を寺の紋にさせていただいており、供養の五輪塔を潅頂堂の隣に建てています。
―室生寺は龍神信仰とも関わりがあるように伺っています。
網代座主雨多く実り豊かな深山幽谷の地・室生は、水を司る龍が棲む龍穴があると言われ、昔から雨乞い祈願の霊験あらたかな信仰の地でした。777年、山部親王(後の桓武天皇)の病平癒を願って5人の興福寺の浄行僧がこの地で祈願を行ったのも信仰の厚さゆえで、その後快復され、天皇に上られたことから、勅命により僧・賢璟(けんきょう)が中心となり寺が創建されたのです。寺の国宝五重塔の相輪のところ、普通は水煙が付くところに宝瓶(ほうびょう)という水を入れる器が飾られているのも、龍神信仰が込められているのだと思います。
深山という室生寺の環境は密教の道場としてもふさわしいものでした。山々を巡って自然の大きな力を身に着ける修行の場として、奈良時代後期には吉野と並び尊ばれていたのです。弥勒堂には、役行者のお姿もお祀りしているのですよ。強い信仰の聖地である土地柄を弘法大師もご存じで、仏舎利を納めた宝珠を五重塔の脇、如意山の山頂に埋められています。
―室生寺に対する見方が深まるお話ですね。ところで2014年夏、仙台市博物館で東日本大震災からの復興を祈念した特別展「奈良・国宝 室生寺の仏たち」が開かれました。網代座主は福島市のご出身ですが、「祈りの塔」の前で法要を行った際、何を思われましたか?
網代座主今もって荒涼とした現地に、言葉を失う思いでした。無念を抱きながら旅立った大勢の人々が、極楽浄土で少しでも安らかな御霊になってくださるようにと願いながら法要を行いました。後世に災害のことを伝えていくために供養を続けていくのが私たち僧侶の務めだと強く感じています。
展覧会には7万7000人もの方が来られ、お書きいただいた感想にも、「癒されない心に安らぎを与えてくれてありがとう」「心が洗われ、救われました」などと温かい言葉が並んでいました。また、法話に集まって下さった方々の約3割が、これまで当寺に来られたことがあるというのも驚きでした。
奈良県東部の外れにあり、わざわざ来ないと来られないのが室生寺です。そこへこんなにも大勢の方が来てくださっている。寺の持つ素晴らしさを私どもも改めて感じることができた、ありがたい経験になりました。

プロフィール

真言宗室生寺派管長/大本山室生寺座主 網代 智明(あじろ ちめい)

福島県福島市生まれ。1970年、福島県立福島高等学校卒業。1973年、大正大学仏教学部仏教学科卒業。2007年、真言宗室生寺派・大本山室生寺宗務長就任。2009年、真言宗室生寺派 羽黒山真浄院住職就任。2013年、第三十一世真言宗室生寺派・大本山室生寺管長就任。福島県真言教師協議会会長、福島市小中学校PTA連合会長、福島市教育委員会委員などを歴任。

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