真言律宗総本山 西大寺 「叡尊上人と一味和合の精神」 真言律宗管長/大矢實圓

―まずは西大寺の始まりについて教えてください。
大矢長老恵美押勝の謀議鎮圧を祈願して、764年に金銅の四天王像造立を孝謙上皇(後の称徳天皇)が発願されたのが始まりです。乱を平定し、翌765年に四天王像が造立され、西大寺が創建されるのですが、東京ディズニーランドと同じ広さの敷地の中にお堂や東西の五重塔が建ち並び、唐三彩の瓦が使われるなど、豪壮華麗な大伽藍でした。称徳天皇じきじきに鋳造に携わられたという四天王像は、本体は後世の作に代わっていますが、踏みつけられた邪鬼の一つは創建当時のものです。
南都七大寺の一つに数えられる大寺院であった西大寺も、都が京都に遷った平安時代になると衰退していきます。再興は、時代がぐっと下がった鎌倉時代、叡尊(えいそん)上人が入られるまで待たなければなりませんでした。
―西大寺中興の祖であり、「生身の釈迦」と称えられた興正菩薩・叡尊ですね。
大矢長老贅沢すぎる生活をしていた僧侶が増えていたことを叡尊上人は非常に嘆かれ、西大寺で戒律復興に生涯を捧げられました。真言密教で言う「十善戒」、つまり仏様の慈悲心を、体・言葉・心で実践されたのです。戒律というと、縛ることのように捉える方もいますが、車を運転するのに交通ルールがあるのと同じで、幸せに生きるための決め事として、戒はあります。戒を守り自分が幸せになってこそ、他への思いやりが生まれ、それがつながって世の中が平和になるのです。その一つ「不殺生戒」の実践として、叡尊上人は宇治川の漁師に漁をやめさせ、代わりにお茶の栽培を教えました。これが今の宇治茶隆盛につながっています。また、元寇の折に京都の石清水八幡宮で行った祈祷では、敵兵を傷つけることなく船ごと吹き返させたまえと祈っています。
―現在多くの参詣者が集う「大茶盛」も、叡尊上人由来の行事だそうですね。
大矢長老1239年1月、八幡神社に献茶した余服を叡尊上人が民衆に振る舞ったことに由来します。困窮者救済に尽くされた叡尊上人は、茶盛を通じて、当時高価な薬とされていたお茶を民衆に施されたのです。寺で酒は飲めませんから、酒盛ならぬ茶盛と呼んだのですが、一つの碗で回し飲みすることには「一味和合」、貧富の差も、敵も味方もなく和み合おうとの意味も込められています。何しろ大きな碗ですから、飲もうとすると顔がすっぽり入る。体験された方は皆さん、お茶の香りがいっぱいに感じられることに驚かれますね。
叡尊上人は幕府からの寄進を一切断る一方で、貧しい人たちが集めたなけなしのお布施は受けとられたそうです。また、密教というと山奥で修行するイメージがありますが、叡尊上人は大衆とともに生きてこそ釈迦の教えを実践できると、市中での布教を続けられました。その生涯に戒律の講義1万700余回、戒を授けた者は朝廷・幕府から貧しい人々に至るまで6万6000余人、漁猟を禁じて放生を行うこと1350余か所、餓者を救うこと1万余回と伝わります。
―叡尊上人の精神は今も息づいているのでしょうね。境内には、散策する紳士やスケッチを楽しむご婦人の姿もあり、庶民に開かれたお寺だなと感じます。大矢長老は、現代の人々にお寺はどういった役割を果たせるとお考えですか。
大矢長老親に言えない悩みも、仏様になら打ち明けられる。世知辛く、平和であって平和でない今の世こそ、心の癒しを得られる場として寺の存在意義があると思います。建築美術だけを見て回るのではなく、ご本尊さんのお気に入るような心がけで手を合わせれば、人智では測れない大きなパワーをいただけます。「上求菩提 下化衆生(じょうぐぼだい げけしゅじょう)」。向上しようとする心、そして、人のために少しでも役立とうという思いが大切です。人間は煩悩のために過ちを犯しますが、過ちを反省することで厚みを増すことができるのも人間です。祈りも、反省も、懺悔も、寺は全て受け入れます。どうぞ真摯に祈る心を持ってお参りにおいでください。

プロフィール

真言律宗管長/真言律宗総本山西大寺長老 大矢 實圓(おおや じつえん)

1935年、京都府生まれ。1946年、長福寺住職松本實道師の従弟として入寺。1959年、高野山大学密教学科卒業。1983年、西大寺執事。1999年、寶山寺貫主・長福寺住職に就任。2007年、東寺で後七日御修法大阿奉修。2008年4月、真言律宗管長・真言律宗総本山西大寺長老に就任、現在に至る 。
真言律宗大本山寶山寺貫主・長福寺住職。

  • 祈りの回廊 社寺紹介 西大寺
  • 祈りの回廊 TOP
特別講話 Special Interview