多くの社寺がある奈良県にとって宮大工の存在は必要不可欠です。建造物を全解体または半解体して行う「根本修理」、屋根の葺き替えや塗装修理などを行う「維持修理」の現場では、ともに「可能な限り、元の状態に戻す」ことを前提に宮大工の技術が生かされます。またお堂などの新築の際には、彼らが古来の建築方法を子細に研究した成果を踏まえて建てるなど、さまざまな時代の職人たちの手により、奈良のすばらしい社寺建築技術が伝えられてきました。その一端を宮大工の技能を持つ県職員も担っています。この「宮大工の県職員」という制度は大変珍しく、長い歴史を持つ奈良県ならではの取り組みとなっています。(この特集の中では、薬師寺東塔と長福寺本堂の解体修理を担っています。)

【薬師寺東塔解体修理】1300年前の仕事を次世代へ 白鳳建築の解体修理

 薬師寺東塔の今回の修理は、明治以降では3回目の大きな修理にして初めて、初重(しょじゅう ※1)の柱までの木部すべてを解体する大がかりなものとなっています。「塔」の象徴ともいうべき「心柱」の根元に空洞が生じていることが、以前の科学的調査で推定されていたためです。解体をすると、「心柱」はやはりシロアリなどが原因で大きく空洞化していることが確認されました。また、今回の解体による調査によって、約1300年の間に、どの部分がいつ、どういう方針で修理されたのか、徐々にわかりつつあります。なお、心柱の空洞化している部分は、国産のヒノキを用いて補うことが決まっています。

(※1)塔の最下部層のこと。初層。

解体調査中に見つかった初重の天井に描かれた宝相華(ほうそうげ)。格子で隠れた部分に、創建当初の文様の色彩が退色することなく残っていました。

初重の解体作業中の東塔。解体個所が下に行くに従い、支えてきた重さの桁外れさを示す傷み具合が明らかに。中央に見えるのが「心柱」。

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【長福寺本堂解体修理】礎石の凹凸に柱の木口を添わせる技術に仰天

 飛鳥時代または奈良時代に創建したとも伝わる長福寺。鎌倉時代建立の本堂の解体修理では傷みの激しい部分は除去し、新しい木で補う「矧木(はぎき ※2)」、「根継(ねつぎ ※3)」などの技術が施されます。また礎石の上面は細かく複雑な凹凸があります。その凹凸に沿うように柱材の木口は削られ、柱を立てるとぴたりとはまり、ズレないのです。緻密な計測と、寸分狂わない大工仕事が成せる業です。新しく用いられる材は吉野郡のヒノキで、カンナ掛けされた面をよく見ると風景を写し込んでいます。それほどの平滑さで得られるのは撥水効果。これは逆目ができてしまう電動鉋では不可能で、昔ながらの台鉋を使いこなすことで生まれる技です。

(※2)一部分の切り取り新材補修
(※3)柱下部腐朽部の切断交換

カンナ掛けの様子を拝見。ちなみに長福寺の現場にいる2人の宮大工は奈良県職員。奈良県は全国でも珍しく、公務員として宮大工を採用しています。工事終了予定は平成28年夏頃。

礎石に建てられた柱の木口は、石の細かなカーブに沿うように細工され、まるで木と石が一体化しているよう!

「根継」された材。

以前の修理の際に記されたどの位置の材かを示す墨書き。

 

【興福寺中金堂再建】ケヤキの柱は1本4トン半「千年もつ木造建築を」

 興福寺中金堂は伽藍の中心となる建物で、長い歴史の中で消失と再建を繰り返してきました。今回の再建は、約300年ぶりとなります。復元の理念は「創建時の姿を木造で再現し、千年もつ建築を」。現存しない中金堂の設計にあたって唐招提寺などが参考とされ、寸法は現代のメートル法ではなく、奈良時代に常用された「天平尺」で計算されました。また、綿密な構造計算など現代技術を取り入れつつも、施工方法そのものは鎌倉〜室町時代に完成された古式に則(のっと)って建築されています。平成30年10月に落慶法要が予定されています。

打ち立てられた柱は36本。この巨木を揃えるために20年以上の歳月がかかっています。写真は立柱式の際のもの。

屋根の木組み。作業中の人物と比較すると木材のサイズ感が伝わってきます。

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【春日大社式年造替】春日大社の20年に一度の式年造替を通し伝承される職人の技術

 式年造替は、定期的に社殿の修繕を行う神社特有の制度です。社殿を造り替え、修繕を行い、神様のお住まいを改めることによって、いつまでも若々しく更に力を増し、我々人間を守っていただくという願いから始まったと伝わります。同時に、建築技術を継承するために必要な仕組みにもなっています。式年造替を行うことで、職人の技術が実地的に伝授されています。今回の造替は平成19年の一之鳥居から始まり、平成28年の御本殿の正遷宮で完了予定。近年は檜皮(ひわだ)の葺き替え、朱塗りの修繕などの維持修理が進行中です。

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「春日番匠座」と呼ばれる大工集団が手掛けてきたご造替。現在は社寺建築を請け負う施工業者が式典も含め、その役を担っています。

屋根の葺き替えは重要な「維持修理」の一環。ご造替は技術伝承における貴重な実践の場です。

 

【金峯山寺仁王門】南北朝時代に建立と伝わる寺最古の建築

 上下層に屋根を重ねる格式の高い二重門。下層は上層より建立年代が古く、細部のデザインに違いが見られます。近年、屋根などに傷みがあることから、修理に向けての準備が進められています。

金峯山寺の詳細は

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写真:金峯山寺
現在の仁王門は養生布が張られていますが、布越しに仁王像のお姿を拝することができます。

 

【日本聖公会奈良基督教会会堂】教会に日本建築の技。設計者は古社寺を手掛けた大木吉太郎

 瓦葺きの反りのある屋根や組入格天井など精緻な社寺建築の技術と、内部の廊下や構成は、伝統的な教会建築の様式。和と洋の技術が融合した貴重な建築。平成27年、国の重要文化財に指定されました。

天井のほかにも、社寺の欄干を思わせる反りを持たせた手すり(コミューニオン・レール)など、宮大工の技を用いた意匠が随所に。

 

 昭和24年にこの道に入りました。初めての現場は昭和25年の元興寺極楽坊禅室の修理工事でした。この仕事がとにかく面白くてね。何が面白いかというと難しいんですよ。何もかも分からないことだらけなのです。しかし、その分からないことの答えというのは私の目の前にある。例えば法隆寺は飛鳥様式の寺ですが、天平建築も鎌倉のものも室町のものもある。あらゆる堂宇がそれぞれの時代の建築の答えを示してくれているわけです。私たちの仕事は、その答えから計算式を導き出すこと。どういう道具を使ったのか?その使い方は?と、一つ一つ紐解いてゆく。つまり「答えから学ぶ」のです。奈良には1300年分の建築がありますからね。向こう1300年分は学ぶことがありますよ。そのためにも後進の育成は命題です。私がこれまでに得た知識は惜しみなく伝えたいのです。いわば「多子相伝」。以前、ユネスコからの依頼でモンゴルの古建築修復を行うために、ユネスココンサルタントとして技術指導に当たりました。モンゴルは気候条件が良く建物が傷みにくい。それが逆効果となって修理修復の機会がなく技術が途絶えてしまったのです。ですから私は教えられるだけのことをお伝えしてきました。翻って、日本は湿気が多く、木造建築を維持するにはこまめな修理が必要です。だからこそ大工の技術が連綿と伝えられることにもなりました。これからも、技術や道具について学び続け、礼儀や作法、木を見る目、人の育て方といった仕事に関わるすべてのことを、ひたすら正しく広く伝承していきたいと考えています。

瀧川 昭雄
たきがわあきお
1933年5月11日生まれ
奈良県桜井市出身。

法隆寺、東大寺、薬師寺、興福寺など100カ寺以上の国宝建造物の修復に従事。奈良県職員(専門職)を80年に退職。瀧川寺社建築社長兼棟梁として日本や香港、中国の寺院修復、建築に携わり、81~83年はユネスコの要請でラマ教寺院(モンゴル)修復を指揮。朱雀門、第一次大極殿を復元。香港建築大賞2002、文化庁長官表彰(06年)、内閣総理大臣賞(07年)受賞。

飛鳥時代~奈良時代に用いられていたものさし。天文学に基づく占術や数学の知識の賜物です。

写真左)瀧川さんが現場で愛用し続けた道具。持ち手の艶が使い込まれた年月を物語ります。
写真右)瀧川さんが収集した様々な時代、地域の大工道具。宮大工の技を学び、伝承するための重要な資料です。

瀧川さん手書きの設計図。2Hの芯で引かれた緻密で正確無比の線。美しさに圧倒されます。