持統天皇行幸の道

  • 持統天皇行幸の道
  • 藤原宮から飛鳥川を遡り、芋峠を越えて吉野町宮滝に至る道。大海人皇子(後の天武天皇)が壬申の乱の直前、近江から飛鳥嶋宮を経て吉野入りした際もこの道を通ったであろうとされています。その後、皇后ウノノサララノヒメミコは、夫(天武天皇)の死後、持統天皇となり、度々吉野を訪れています。

藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)

藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)

持統天皇が694年に遷都した日本で最初の本格的な都城でした。わずか16年という短い栄華でしたが、この時代には大宝律令が制定され、二官八省と呼ばれる政治のしくみが誕生しました。そして、貨幣として和同開珎が発行され、貨幣の流通が徐々に広がっていったのもこの時代からです。近隣にある橿原市藤原京資料室や奈良文化財研究所都城発掘調査部ではこれらに関する資料などを見ることができます。

橿原市藤原京資料室(かしはらしふじわらきょうしりょうしつ)

橿原市藤原京資料室(かしはらしふじわらきょうしりょうしつ)

本資料室は、世界遺産登録(※)を目指している「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産である「特別史跡藤原宮跡」をより理解頂くことを目的に開室しています。展示物は、藤原京の1000分の1模型(約6メートル×7メートル)や、柱・瓦の出土品、解説パネル、古代衣装を着たマネキン等、また、コンピュータグラフィックスにより作成したビデオ上映を行っており、雑誌等にも紹介されています。藤原京の築造や遷都などがわかる展示内容にしていますので、興味をお持ちの方は、「入場無料」ですので是非いらして下さい。※「飛鳥・藤原の宮都とその関連遺産群」は、平成19年1月30日にユネスコ世界遺産暫定リストに登録されています。

本薬師寺跡(もとやくしじあと)

本薬師寺跡(もとやくしじあと)本薬師寺跡(もとやくしじあと)

西ノ京の薬師寺の前身にあたる寺の跡。天武天皇が皇后(持統天皇)の病気回復を祈願して、680年に建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御されたので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。寺院は薬師寺式伽藍配置の典型で、東西両塔及び金堂の跡が顕著に現存しています。また、本薬師寺跡周辺の休耕田を利用してホテイアオイが栽培されており、8月中旬~9月にかけ見頃を迎え多くの人を楽しませています。

大和三山(やまとさんざん)

大和三山(やまとさんざん)大和三山(やまとさんざん)大和三山(やまとさんざん)

藤原宮跡を取り囲むように三角形に位置する香具山・畝傍山・耳成山の3つの山は、奈良盆地のどこからでも眺めることができ、古くは神代の世から多くの人々に親しまれてきました。またその美しい姿は万葉集にも数多く詠われており、その中でも、持統天皇の『春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山』の歌はとても有名です。大和三山は2005年に国の名勝に指定されました。

天武持統天皇陵(てんむ・じとうてんのうりょう)

天武持統天皇陵(てんむ・じとうてんのうりょう)天武持統天皇陵(てんむ・じとうてんのうりょう)

天武天皇(在位673~686)と、その皇后であり自ら皇位を継いだ持統天皇(同690~697)との夫婦合葬の墓。墳丘は5段築成の八角形墳で、南を入口とする全長7.5メートルの大理石積墓室があります。なお、持統天皇は天皇として初めての火葬。

水落遺跡(みずおちいせき)

水落遺跡(みずおちいせき)水落遺跡(みずおちいせき)

660年に天智天皇が造った漏刻(水時計)の跡と考えられています。礎石は縦横斜めに玉石を連結させ堅固に据えられ、中央に漆塗りの箱を設置し、これに向かって東から導水した暗渠や、サイホン方式に用いたとみられる銅製の導管が検出され、また冬期には氷結防止のためか、炭が出土しています。

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)

伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきみやあと)

飛鳥板蓋宮は皇極天皇・斉明天皇(皇極天皇の重祚)の皇居。大化改新の幕明けとなる蘇我入鹿暗殺の舞台となりました。発掘調査により現在では、上層・中層・下層の三層に分類できると考えられ、上層遺構が後飛鳥岡本宮と飛鳥浄御原宮で、中層が飛鳥板蓋宮と考えられ、そして下層遺構は岡本宮であったのではないかとの説が有力です。

石舞台古墳(いしぶたいこふん)

石舞台古墳(いしぶたいこふん)

国特別史跡。古くから上部の封土を失い石室天井部の石が露出していたことが『西国三十三所名所図会』など知られます。天井石は巨大で、特に玄室南側の石は約77トンと推定されます。周辺の小古墳を破壊して築造されており、蘇我馬子の桃原墓と推定されています。

妹山樹叢(いもやまじゅそう)

妹山樹叢(いもやまじゅそう)

大和上市駅・・・バス湯盛温泉行約10分 津風呂湖口下車徒歩約5分 全山照葉樹の原生林におおわれています。この樹叢は1928(昭和3)年3月、国の天然記念物の指定を受けました。貴重な林相がいまに伝わったのは、859(貞観元)年以前に大名持神社が南のふもとにまつられてから、妹山が周辺地城の人々の崇敬をあつめた“忌み山”として入山を禁止されてきたためです。祭神は大物主神の荒魂。大名持神です。また、妹山は対岸にある背山とともに、雛鳥と久我之肋の悲恋として名高い浄瑠璃や歌舞伎の“妹背山婦女庭訓”で知られています。

桜木神社(さくらぎじんじゃ)

桜木神社(さくらぎじんじゃ)

大和上市駅・・・バス湯盛温泉行約15分 宮滝下車徒歩約15分 昔ながらの屋形橋を参道にして、桜とカエデの木立の中に、鮮やかな朱塗りの社殿を見せています。祭神は大己貴命・少彦名命、古くから医薬の神様として広く信仰を集め、西暦672年の壬申の乱に際し、この地に潜幸した天武天皇も併せ祭っています。

象の小川(きさのおがわ)

象の小川(きさのおがわ)

大和上市駅・・・バス湯盛温泉行約15分 宮滝下車徒歩15分 喜佐谷の杉木立のなかを流れる渓流で、やまとの水31選のひとつ。吉野山の青根ヶ峰や水分神社の山あいに水源をもつ流れがこの川となって、吉野川に注ぎます。万葉集の歌人、大伴旅人もその清々しさを歌に詠んでいます。

宮滝遺跡(みやたきいせき)

宮滝遺跡(みやたきいせき)

大和上市駅・・・バス湯盛温泉行約15分 宮滝下車徒歩約5分 このあたりの吉野川の両岸は巨岩奇石でおおわれ、水の流れはエメラルド色。付近から縄文時代以降の遺構・遺品が出土しています。天武・持統天皇がたびたび訪れた吉野の宮跡といわれ、近年、それを裏付ける建物跡の一部が出土しました。風光明媚なこの地は、『万葉集』や『懐風藻』にもその美しさが多く詠まれています。

吉野歴史資料館(よしのれきししりょうかん)

大和上市駅・・・バス湯盛温泉行約15分 宮滝下車徒歩約3分宮滝遺跡から出土した縄文・弥生の遺物や天武・持統天皇が度々訪れた吉野の宮に関する展示を行い、吉野の歩みと文化をも学ぶことができる町営施設。また、施設から見る「青根が峯」「象山」「三船山」の眺望が美しい。開館時間:3月~11月     ■土・日・祝 9時~17時(入館は16時半まで)     ■水・木・金 入館予定日の1週間前までに最低4名以上で要予約予約先:吉野町教育委員会    0746-32-0190休館日:月・火・祝の翌日/12月1日~2月末日入館料:一般    200円(160円)    高校生以下 100円(80円)    幼児以下  無料    ( )内は20名以上の団体料金

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